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江戸歌舞伎を集大成した河竹黙阿弥

今日1月22日は、幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)が、1893年に亡くなった日です。

1816年、江戸・日本橋にある質屋の長男として生まれた河竹黙阿弥(本名・吉村芳三郎)は、幼いころから読本に親しみ、やがて川柳や狂歌の創作にふけるようになりました。ところが14歳のときに遊びが過ぎて親から勘当されてしまいました。貸本屋につとめながら読書や芝居見物にあけくれる日々を送るうち、狂歌や俳句、舞踊などに注目をあびるようになります。

1835年に五代目鶴屋南北の弟子となって、歌舞伎作者としての本格的な修行を重ねました。28歳で河竹新七の名を襲名して立作者となると、1854年に上方から江戸に来た四代目市川小団治のために、盗賊を題材に庶民生活を生きいきと描いた「白浪狂言」「生世話(きぜわ)狂言」とよばれる芝居を次々に書き、歌舞伎作者の第1人者といわれるようになりました。二人の関係は、市川小団治が亡くなる1866年まで続き、その10年間に、今もくりかえし演じられる『三人吉三』『鼠小僧』『十六夜(いざよい)清心』『弁天小僧』『村井長庵』などの名作を著し、幕末の退廃的な世相のなかで、刺激的な享楽を求める庶民の心に強烈なアピールをしたのでした。

明治維新後もその筆は衰えることなく、五世尾上菊五郎、初世市川左団次、九世市川団十郎らの名優のためにたくさんの狂言を書き、生涯に書いた演目は360編を数えるといわれています。歌舞伎に西洋劇の合理性を取り入れようと試行錯誤したり、シェークスピアの翻訳で知られる坪内逍遙は、河竹新七(黙阿弥)を「明治の近松門左衛門」「わが国のシェークスピア」と絶賛しています。

ところが1881年、『島ちどり』を書き上げると、これが一世一代の大作として引退を宣言、さらに名を黙阿弥と改名しましたが、周囲は引退を許さず、『魚屋宗五郎』『筆屋幸兵衛』などを78歳で亡くなるまで書きつづけ、いまだに多くの作品が上演されている作家のひとりです。黙阿弥が「役者に親切、座元に親切、見物に親切」という「三親切」をモットーに奉仕的な作家道を貫いた人だったからに他なりません。


「1月22日にあった主なできごと」

1793年 大塩平八郎誕生…江戸時代後期の儒学者で大坂町奉行所の与力を勤めるも、窮民救済を叫んで反乱(大塩平八郎の乱)をおこして失敗した大塩平八郎が生まれました。

1905年 血の日曜日事件…ロシアの首都ペテルブルクで、労働者10数万人が皇帝へ請願のデモ行進をしていたところ、軍隊が突然発砲し3千人余りの人たちが死傷しました。当時は、日露戦争のさなかで、年初に旅順が陥落するなど、人々の生活の苦しさはピークに達していました。この事件をきっかけに、各地にソビエトが生まれたことで「ロシア第1革命」ともよばれています。
投稿日:2014年01月22日(水) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)