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無実で22年も服役した朴烈

今日1月17日は、朝鮮の社会運動家・無政府主義者の朴烈(ぼくれつ=朝鮮読みパク・ヨル)が、1974年に亡くなった日です。

1902年、朝鮮の東南部にある慶尚北道の農家に生まれた朴烈は、今のソウルにあった京城高校に在学中の1919年3月1日に、日本の統治から独立しようとする運動「三・一運動」に参加した後、高校を中退して日本へ渡り、在日朝鮮人を中心とする無政府主義活動に参加しました。やがて日本人妻の金子文子とともに、1922年におこった信濃川朝鮮人虐殺事件(信濃川発電所工事場で大倉組の朝鮮人労働者数十人が虐殺された事件)を追及したり、雑誌『太い(ふてい)鮮人』を発刊して天皇制打倒を唱えました。

1923年に関東大震災がおこると、「朝鮮人狩り」からの保護を名目に文子ととも警察に拘束され、同年秋の皇太子(のちの昭和天皇)結婚時に、続いて1925年に天皇の暗殺を図ったとして告発されました(朴烈事件)。朴烈自身も義兵的な生き方へのあこがれからか、この計画を自白したことで、大逆罪として、翌1926年に死刑判決が下されました。まもなく恩赦によって無期懲役に減刑されると、朴烈は激怒して減刑拒否を宣言し、この直後に文子は自殺しています。のちに、この暗殺計画は朝鮮人の社会運動家を弾圧するための、警察のでっちあげだったことが判明しています。

けっきょく朴烈は、第二次世界大戦後の1945年10月まで、22年2か月も服役し、釈放後は、在日朝鮮人組織の結成をめざし、1946年に新朝鮮建設同盟を結成すると委員長となり、これを在日本朝鮮居留民団に改組して初代団長に就任しました。しかし1949年の団長選挙では再選されず、失意のうちに大韓民国に帰国しました。

帰国後は李承晩政権によって国務委員に任命されましたが、1950年にはじまった朝鮮戦争で北朝鮮軍に捕えられて、同国に連行されてしまいました。1966年には南北平和統一委員会の副委員長として北朝鮮政府で活動するものの、スパイ容疑がかけられて処刑され、数奇な生涯を終えたといわれています。


「1月17日にあった主なできごと」

1706年 フランクリン誕生…たこを用いた実験で、雷が電気であることを明らかにしたばかりでなく、アメリカ独立に多大な貢献をした政治家・著述家・物理学者・気象学者として多岐な分野で活躍したフランクリンが生まれました。

1991年 湾岸戦争勃発…アメリカ軍を主力とする多国籍軍は、クウェートに侵攻したイラク軍がこの日に設定されていた撤退期限が過ぎてもクウェートから撤退しなかったため、イラク軍拠点に攻撃を開始し、1か月あまりにおよぶ湾岸戦争が勃発しました。

1995年 阪神・淡路大震災…午前5時46分、淡路島北部を震源とする巨大地震が発生しました。神戸市・芦屋市・西宮市などで震度7の激震を記録、神戸市を中心に阪神間の人口密集地を直撃して、鉄道・高速道路・港湾等の交通機関や電気・水道・ガスのライフラインが壊滅状態となりました。自宅を失なって避難した人は30万人以上、死者6400人以上、負傷者43000人余、倒壊・損壊家屋は40万棟を越える大惨事となりました。
投稿日:2014年01月17日(金) 05:41

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)