児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  毒殺説が根強い孝明天皇

毒殺説が根強い孝明天皇

今日12月25日は、明治天皇の父で、幕末の混乱期に攘夷を主張し、公武合体の道をつらぬいた孝明天皇(こうめいてんのう)が、1866年に亡くなった日です。

1831年、仁孝天皇の第4皇子として生まれた孝明天皇(幼名・煕[ひろの]宮は、1846年に父の死去にともなって16歳で即位すると、海防を厳重にせよと幕府に指示し、以後一貫して攘夷(外国人おいはらい)を主張しました。また、学問好きな性格の持ち主で、父の遺志を継いで京都御所の東側に公家の学問所である「学習院」を創設しました。

1853年、日本はペリー来航という大きな転機を迎えて幕末の動乱が始まると、天皇は政治への積極的な関与を強めはじめました。

1858年に大老の井伊直弼が「日米通商条約」の調印にふみきるや、退位の意思をあらわして激しく反対をとなえたばかりか、徳川御三家のひとつの水戸藩などへ、攘夷決行への密勅を行いました。この行動に井伊を「安政の大獄」にむかわせたといわれています。

1860年3月「桜田門外の変」で井伊が暗殺され、その後の幕府が公武合体路線をとりはじめ、孝明天皇の異母妹である和宮を、第14代将軍・徳川家茂に降嫁させる話をもちかけられました。天皇は幕府に「近い将来に攘夷を実行する」という誓約をとってこれを許可しました。 これ以後、公武合体に反対する急進的な尊王攘夷運動がひろがりをみせ、長州藩士をはじめとする尊攘派の志士たちは京都に参集し、これに賛同する公家と結んで朝廷を動かそうとしました。

こんな動きに天皇は、1863年3月に攘夷を勅命し、これを受けて下関戦争や薩英戦争など攘夷運動が勃発しました。しかし、幕府を倒そうとする過激な攘夷運動には嫌悪の念を示し、京都守護職の会津藩主松平容保や中川宮と手を結んで、急進派の志士や公家を京都から追放(八月十八日の政変)しました。 こうして、公武合体派が幕政の実権をにぎりましたが、1865年、攘夷運動の最大の要因は孝明天皇の意志にあると見た諸外国は、艦隊を大坂湾に入れて通商条約の認可を天皇に要求、天皇も事態の深刻さをさとって条約を認可しました。

これにより、倒幕運動は激しさをまし、岩倉具視ら二十二卿が天皇の方針に反対して追放された公家の復帰を求める事件が発生するなか、天皇は在位21年にして急死したのでした。この死は、病死とされていますが、倒幕派にうらまれて毒殺されたといううわさが流れ、真相はいまだに不明です。

 

「12月25日にあった主なできごと」

800年 カール大帝即位…カール大帝 (シャルルマーニュ)は、この日聖ピエトロ寺院で、ローマ教皇からローマ皇帝として戴冠されました。大帝は、ゲルマン民族の大移動以来、混乱した西ヨーロッパ世界の政治的統一を達成、フランク王国は最盛期を迎えました。

1642年 ニュートン誕生…万有引力の法則、数学の微積分法、光の波動説などを発見したイギリスの物理学者・数学者・天文学者のニュートンが生まれました。

1897年 赤痢菌の発見…細菌学者志賀潔は、この日赤痢菌の病原菌を発見したことを「細菌学雑誌」に日本語で発表しました。しかし、当時の学会はこれを承認しなかったため、翌年要約論文をドイツ語で発表、この論文で世界的に認められることになりました。

1926年 大正天皇死去…1921年には当時20歳だった皇太子・裕仁親王が摂政に就任していましたが、この日大正天皇が亡くなり、裕仁親王が天皇の位を受けついで「昭和」となりました。

1928年 小山内薫死去…明治末から大正・昭和初期に演劇界の発展に努めた劇作家、演出家の小山内薫が亡くなりました。

1977年 チャップリン死去…イギリスに生まれ、アメリカで映画俳優・監督・脚本家・プロデューサーとして活躍したチャップリンが亡くなりました。

投稿日:2013年12月25日(水) 09:00

 <  前の記事 「美文調」の高山樗牛  |  トップページ  |  次の記事 「原爆投下」とトルーマン  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/3239

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)