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「美文調」の高山樗牛

今日12月24日は、大学在学中に代表作『滝口入道』を著し、作家・文芸評論家・思想家として明治期の論壇で活躍した高山樗牛(たかやま ちょぎゅう) が、1902年に亡くなった日です。

1871年、山形県・鶴岡に生まれた高山樗牛(本名・林次郎 樗牛=号)は、幼いころにおじの養子になり、その転任にともなって各地を転々としました。東京英語学校、仙台の旧制第二高校をへて、1893年東京帝国大哲学科に入学しました。 2年在学中に「読売新聞」の懸賞小説に応募し、『平家物語』から題材を取った『滝口入道』が1等に入選をはたして同新聞誌上に掲載されました。滝口入道時頼と横笛の悲恋物語を美文調でえがいた小説は話題をよび、1895年に単行本となってベストセラーとなりました。

その後、同級生や先輩たちと雑誌『帝国文学』を発刊、誌上に文芸評論を発表しましたが、『滝口入道』以降は小説を発表していません。 1896年に大学を卒業後、旧第二高校の教授になりましたが、校長排斥運動をきっかけに翌1897年に辞任、明治期の代表的な総合月刊誌『太陽』の編集主幹になりました。

ちょうどそのころの日本は、日清戦争後の下関条約で日本に割譲されることになった遼東半島を、フランス、ドイツ、ロシアの三国が清に返還することを求める「三国干渉」の時期にあったため、国粋主義的な気運が盛り上がっていました。樗牛は、『太陽』誌上に日本古来の伝統を重んじ、国粋主義的な「日本主義」を唱える評論を多く書き、内村鑑三らのキリスト教を攻撃しました。いっぽう、『わがそでの記』のようなロマン主義的な美文を書いて、森鴎外と論争をおこなっています。

1900年、文部省から美学研究のため海外留学を命じられた樗牛は、帰国後に京都帝大教授が内定していました。ところが洋行の送別会後に喀血したために、留学を辞退し、病中で『文明批評家としての文学者』を書いて、ドイツ哲学者ニーチェの個人主義思想を紹介しました。

1901年には東大の講師となって、日本美術を講じながら『美的生活を論ず』を著し、美の本質は本能の満足にあると論じる主張は、坪内逍遥や島村抱月と大論争を展開することになりました。やがて、日蓮研究を進めているうち、日蓮宗を信仰するようになります。

1902年、論文『奈良朝の美術』により文学博士号を授与されましたが、病状が悪化して32歳の若さで生涯を閉じました。日本や中国の古典に造詣が深く、欧米の思想にも通じ、文豪と呼ばれて多くの人々をひきつけましたが、日本主義、ロマン主義、ニーチェ主義、日蓮主義など、主張の変遷が激しかったことに、今では疑問がもたれています。しかし、個人主義による自我の発揮による論調は、ロマン主義の気運を燃え上がらせ、石川啄木らに大きな影響を与えたことは、高く評価されています。 なお、オンライン図書館「青空文庫」では、樗牛の代表作『滝口入道』『美的生活を論ず』ほか2編を読むことができます。

 

「12月24日にあった主なできごと」

1940年 西園寺公望死去…自由主義思想を支持し、2度総理大臣になるなど、明治・大正・昭和の3代にわたり活躍した最後の元老政治家といわれる西園寺公望が亡くなりました。 1944年 東京初空襲…アメリカ軍の爆撃飛行機B29が、東京へ初めて爆撃を行いました。航空機を製造する中島飛行機武蔵野工場が主な攻撃目標でしたが、やがて無差別爆撃へ戦術を変え、翌年3月10日には東京の下町を火の海にする大空襲を行いました。

投稿日:2013年12月24日(火) 09:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)