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「聖祖」 康熙帝

今日12月20日は、中国・清の第4代皇帝で、清の基礎をきずいた康熙帝(こうきてい)が、1722年に亡くなった日です。

1654年、清の第3代順治帝の第3子として生まれた康熙帝は、わずか8歳で即位しました。順治帝の遺命で4人の大臣の合議制で政治が行われましたが、1669年以降はみずから政治を行うようになりました。当時はまだ、明朝を支持する勢力が活動を続けているときで、明の武将だった呉三桂、尚可喜、耿(こう)精忠は三藩といわれ、それぞれ雲南・広東・福建を領地として兵力をもち、独立小国家のようなふるまいをしていました。

これをにがにがしく思っていた康熙帝は、1673年に「三藩廃止」の令をくだすと、呉三桂らは反旗をひるがえし(三藩の乱)、清の軍隊を各地でやぶりました。これに鄭氏・台湾も加わったため、一時期は長江以南をすべてを彼らに奪われてしまいました。しかし、民衆は三藩を支持しなかったことで、康熙帝はすこしずつ優勢になり、1681年に乱を鎮圧しました。その2年後には鄭氏・台湾も降伏させて、名実ともに完全な中国の支配者となりました。

台湾を制圧した1683年には、ロシア帝国のピョートル大帝(1世)が満州族の故地であるアムール川(黒竜江)付近に南下してきたことで、この地域の軍事力を強化してロシア軍を1685年にやぶり、1689年にネルチンスク条約を結んで国境を定めています。また1690年、モンゴルの内紛に介入して外モンゴルの一部を制圧し、1693年には康熙帝みずから軍勢を率いて戦い、1696年清の支配下におきました。1720年には、チベットも支配下におさめています。

内政面での康熙帝は、黄河の治水に心をくばり、運河を整備して米などの輸送を便利にしたばかりか、倹約につとめ、明代に1日で使った費用を1年間の宮廷費用としたといわれ、財政が豊かになったことで、減税をたびたび行っています。

また、好学ぶりは有名で、4万9000字を収録した『康熙字典』を1716年に完成させました。これは後の、字画でひく辞典のお手本になっています。また、イエズス会宣教師らに10年かけて作らせた中国全土の実測図『皇輿全覧図』、ほかに『大清会典』『歴代題画』『全唐詩』なども編さんしています。

こうして康熙帝は、在位60余年のあいだの政策により清王朝の基礎をつくり、次代をついだ雍正帝、乾隆帝と3代約130年間は、清の最盛期といわれています。唐の太宗とともに中国歴代最高の名君であり、「聖祖」とする歴史家もいるほどスケールの大きな人物でした。


「12月20日にあった主なできごと」

1848年 ルイ・ナポレオンが大統領…皇帝ナポレオンの甥にあたるルイ・ナポレオンが、選挙に全投票の75%を得て、フランス第2共和制大統領に就任しました。その後ルイは、大統領の権限を強化し4年後に第2帝政をはじめて、ナポレオン3世となりました。

1853年 北里柴三郎誕生…ドイツのコッホに学び、ジフテリアや破傷風の血清療法の完成やペスト菌の発見など、日本細菌学の開拓者・北里柴三郎が生まれました。

投稿日:2013年12月20日(金) 05:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)