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「ベーリング海峡」 とベーリング

今日12月19日は、デンマーク出身でロシアの航海士として2回カムチャツカ探検をし、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きではないことを確認したベーリングが、 1741年に亡くなった日です。

1681年、デンマークのホーヘンスに生まれたビトゥス・ヨナセン・ベーリングは、1703年にアムステルダムの学校を卒業し、東インドへの旅の後、1704年にピョートル大帝率いるロシア海軍の将校となりました。スウェーデンと反スウェーデン同盟(ロシア・ポーランド・プロイセン・デンマーク他)がバルト海の覇権をめぐって争った「北方戦争」やオスマン帝国との戦いでも手柄をたて、大帝から大きな信頼をよせられるようになりました。

1725年1月にピョートル大帝より、アジアと北米大陸がつながっているかどうかの調査を命ぜられました。ベーリングは、隊長としてカムチャツカ・オホーツクへの探険隊を率いてペテルブルクを出発、陸路でシベリアを横断した後、1727年1月にオホーツクに到着しました。そこで冬を越した後、カムチャツカ半島に渡り、1728年夏までに船を建造して、半島東岸から北に向けて出発し、カラギン湾、カラギン島、クレスタ湾、アナディル湾などを発見、船はそのまま北上し、ユーラシア大陸とアメリカ大陸とのあいだの海峡とは知らずに通過してチュクト海に入り、北緯67度18分まで達して引き上げました。そのため、海峡問題は未解決のままでした。1729年、一行はカムチャツカ半島の南部を回り、オホーツクを経由して、1730年夏、ベーリングは重い病気におかされながらも、ペテルブルクに帰還したのでした。

1733年ベーリングは、海峡問題の解決と、北米大陸北部沿岸の調査、千島列島の地図の作成と日本への海路の探索の任務を受けて、第2次カムチャツカ探検隊長に任命されました。1734年、トボリスクからヤクーツクへ、探検準備のため、ヤクーツクに3年間留まった後の1740年秋、オホーツクより、2隻の船に乗ってカムチャツカ半島東岸に向かい、翌年アラスカ南岸に到達し、海峡の存在を確認しました。この海峡は彼の名にちなんで「ベーリング海峡」と名づけられ、発見されたのは前回知らずに通過した1728年とされています。

帰路、アリューシャン列島の一部の島々を発見しましたが、嵐にあって無人島に漂着して冬を越しましたが、ベーリングはこの日壊血病で命を落としました。このときの様子は、探検に加わっていたドイツ人の医師であり博物学者のシュテラーが記録に残し、後に、この島はベーリング島と名づけられています。


「12月19日にあった主なできごと」

1614年 大坂冬の陣の和約…徳川家康は豊臣家を滅ぼそうと20万もの大兵で大坂城を取り囲みましたが、短期間で滅ぼすことはできないと和平を持ちかけました。その後、約束の外堀ばかりか内堀までうずめて本丸だけにし、半年後の「大坂夏の陣」で滅ぼしました。

1751年 大岡忠相死去…「大岡政談」の越前守として有名な大岡忠相が亡くなりました。ただし、名裁判官ぶりはほとんど作り話で、江戸市民に愛され尊敬されていた忠相の人柄が、人情味あふれる庶民の味方として認識され、講談や演劇、落語などで広く知られるようになりました。

投稿日:2013年12月19日(木) 05:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)