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「原爆投下」とトルーマン

今日12月26日は、第33代アメリカ合衆国大統領で、日本へ原子爆弾を投下して第2次世界大戦を終結させ、戦後は冷戦外交をおこなったトルーマンが、1972年に亡くなった日です。

1884年、ミズーリ州ラマーの農家に生まれたハリー・トルーマンは、6歳の時ミズーリ州インディペンデンスに移り住み地元の高校を卒業、カンザスシティ州の銀行や新聞社の事務をしながら夜間の法律学校へ通い、1906年に父親のあとをついで農業にたずさわりました。第1次世界大戦にアメリカが参戦すると、州兵としてフランスにわたり、大尉として砲兵部隊を終戦まで指揮しました。

退役後は、カンザスシティ州ジャクソン郡の裁判官となって地方政界につながりをもつと、1934年50歳で、ミズーリ州の民主党上院議員に初当選をはたしました。ルーズベルト大統領のニューディール政策を支持し、1940年に再選をはたすと、1941年には軍事費の不正使用に関して調査報告を行う「トルーマン委員会」が設立され、同委員会は軍事契約にからむ150億ドルものむだづかいや汚職をあばいて、トルーマンは全米に知名度をあげました。

1944年ルーズベルトが4度目の大統領になったとき、トルーマンは副大統領に選出され、ルーズベルトが1945年4月に急死すると、大統領に昇格しました。そして、ドイツの降伏後の7月17日から8月2日まで開かれた英国のチャーチル、ソ連のスターリンとの3巨頭会談である「ポツダム会談」に出席していたとき、原子爆弾の完成を知り、戦後の覇権争いでソ連より優位に立とうと、日本への原爆投下を決定しました。広島・長崎への原爆投下が、日本が「ポツダム宣言」を受け入れ、無条件降伏の要因とはなりました。しかし、トルーマン自身は生涯にわたり原爆投下を正当化し、アメリカでは「戦争を早期終結に導き兵士の命を救った大統領」と、いまだに評価されているのは、いかがなものでしょうか。

第2次世界大戦の終結と、戦後処理に指導的な役割を演じたトルーマンは、ソ連との対決姿勢を強めました。1947年には、共産主義の圧迫を受ける国々を援助する「トルーマン・ドクトリン」という外交方針を発表、ギリシャやトルコに軍事・経済援助を行ったり、ヨーロッパ復興計画「マーシャル・プラン」を発表して、共産諸国の封じこめをおこない、1949年には「NATO」(北大西洋条約機構)を結成しました。これらの方針は、「冷戦の合図」といわれています。1950年に朝鮮戦争がおこると、韓国援助のためにアメリカ軍を送りこみました。この戦争に、原爆を使用すべきと主張するマッカーサーを解任させたのは、日本に原爆を投下した罪ほろぼしではないかといわれています。

1952年にトルーマンは政界を引退しましたが、1951年に日本との講和条約(サンフランシスコ平和条約)を結んだほか、任期中に国際連合の創設や、国防総省、中央情報局(CIA)などの政府機構の改革を行い、公民権擁護の姿勢を一貫してしめすなど、戦後におけるアメリカの内外政策の基礎を築きました。

引退後は20年も余生をおくり、カンザスシティで88年の生涯を閉じました。


「12月26日にあった主なできごと」

1542年 徳川家康誕生…応仁の乱以降100年以上も続いた戦乱に終止符を打ち、織田信長、豊臣秀吉により統一された天下を、さらに磐石なものとする江戸幕府を開いた徳川家康が生まれました。

1758年 松平定信誕生…江戸時代中期、田沼意次一族の放漫財政を批判して「寛政の改革」を行った松平定信が生まれました。

1888年 菊池寛誕生…『屋上の狂人』『父帰る』『恩讐の彼方に』などを著した作家で、文芸春秋社を創業し、芥川賞・直木賞をを創設した菊池寛が誕生しました。

1890年 シュリーマン死去…ホメロスが紀元前800年ころに書いたといわれる 「イリアス」 「オデュッセイア」 に出てくる伝説の都市トロヤが、実在することを発掘によって証明したドイツの考古学者で実業家のシュリーマンが亡くなりました。

投稿日:2013年12月26日(木) 05:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)