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『青少年のための管弦楽入門』 のブリテン

今日12月4日は、オペラ『ピーター・グライムズ』や『青少年のための管弦楽入門』『戦争レクイエム』などを作曲したイギリスのブリテンが、1976年に亡くなった日です。

1913年、イングランド・サフォーク地方のローストフトに生まれたベンジャミン・ブリテンは、幼少のころから音楽の才能を発揮して、7歳からピアノやビオラを学び、9歳のときに弦楽四重奏曲を作曲するほどでした。12歳でフランク・ブリッジに師事して本格的に作曲をはじめ、1930年にはロンドンロイヤル音楽院に入学して、1934年に卒業してからは詩人オーデンに協力して記録映画音楽づくりにたずさわりました。

1937年、ザルツブルク音楽祭で初演された『ブリッジの主題による変奏曲』は、大評判となって作曲家としての名声をえました。やがて、イギリスが第2次世界大戦にのめりこむことを悲観し、兵役拒否の意味合いをこめてテノール歌手ピーター・ピアーズとともに4年間アメリカに滞在しました。帰国後の1945年に、最高傑作といわれるオペラ『ピーター・グライムズ』がロンドンで初演すると大成功をおさめ、アメリカの指揮者クーセビッキーから、ビゼーの『カルメン』以降にあらわれたオペラの最高傑作と絶賛されるほどでした。

さらに、同年につくられた『青少年のための管弦楽入門』もブリテンの代表曲のひとつで、「パーセルの主題による変奏曲とフーガ」という副題がついています。パーセルは、イギリスではバッハ以上に尊敬されている17世紀の作曲家で、ブリテンは13の変奏曲とフーガで構成された曲にさまざまな工夫をくわえて、オーケストラはどのような楽器で演奏され、それぞれの楽器はどんな音色を出しどんな感じをあたえるかということを、わかりやすく示しました。

この曲を開始するにあたって、つぎのような語りではじまります。「作曲家のブリテンは、青少年のみなさんに、オーケストラの楽器を紹介するために、この曲を作りました。オーケストラには4つの楽器のグループがあります。弦楽器・木管楽器・金管楽器・打楽器です。弦楽器は弓か指でひき、木管楽器・金管楽器は呼吸によって音を出し、打楽器はたたいて音をだします。それでは、イギリスの偉大な作曲家パーセルがこしらえたテーマを、オーケストラ全部の楽器で演奏した後、4つのグループの楽器でいろいろ演奏しますから、よくきいてください」。こうして威厳にみちたテーマではじまり、それぞれの楽器や楽器グループや独奏などで変奏曲がかなでられ、最後に全オーケストラによる壮大なフーガで締めくくられます。

ブリテンは、著名な現代作曲家のひとりですが、いたずらに目新しさを追わず、いろいろな素材や方法を合成する手法で、技巧的でありながら、大衆的でわかりやすいものが多く、『青少年のための管弦楽入門』はじめ、『ピーター・グライムズ』をふくむ14作のオペラ、『戦争レクイエム』などの作品が、時代や国や地域を問わず、いまも広く受け入れられています。


「12月4日にあった主なできごと」

1027年 藤原道長死去…平安時代中期の貴族で、天皇にかわって摂政や関白が政治をおこなう「摂関政治」を独占。藤原氏の全盛期を生きた藤原道長が亡くなりました。

1722年 小石川養生所設立…江戸幕府は、貧しい病人のための無料の医療施設として、東京・文京区にある小石川植物園内に小石川養生所を設立しました。第8代将軍徳川吉宗と江戸町奉行の大岡忠相が主導した「享保の改革」における下層民対策のひとつで、町医者の小川笙船が、将軍への訴えを目的に設置された「目安箱」に投書したのがきっかけでした。幕末まで140年あまりも、江戸の貧民救済施設として機能したといわれます。この診療所の様子は、山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』や、この原作をもとに黒沢明が映画化した『赤ひげ』で知られています。

1890年 血清療法…ドイツの細菌学者コッホのもとへ留学していた北里柴三郎は、破傷風とジフテリアの免疫血清療法を発見したことを発表しました。

投稿日:2013年12月04日(水) 05:49

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)