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「所得倍増計画」 の池田勇人

今日12月3日は、戦前から戦後にかけて大蔵官僚として大蔵次官までのぼりつめ、その後は政治家として大蔵大臣、通産大臣などをへて、第58・59・60代首相をつとめた池田勇人(いけだ はやと)が、1899年に生まれた日です。

現在の広島・竹原市の旧家の子として生まれた池田勇人は、旧制五高をへて、1925年に京都帝国大法学部を卒業し、大蔵省へ入りました。函館税務署長、宇都宮税務署長をつとめましたが天然痘にかかったことで大蔵省を退職、5年間生死をさまよいながらも1934年に完治して大蔵省に復職、玉造税務署長、熊本税務監督局など地方勤務後、1941年に主税局国税課長、1945年に主税局長、戦後の1947年2月には、第1次吉田茂内閣で石橋湛山大蔵大臣のもとで、大蔵次官にのぼりつめ、翌年退職しました。

1949年、広島県から衆議院議員に自由党から立候補して当選をはたすと、すぐに第3次吉田茂内閣の大蔵大臣に就任、翌年には通産大臣を兼任しました。吉田茂の直系としてGHQから示された財政金融引き締め政策を推進したことで日本経済は深刻な不況におちいるものの、朝鮮戦争がおこって景気が浮揚したこと、大規模な造船疑獄事件が発生し、佐藤栄作とともに逮捕寸前までいくものの、法相の「指揮権発動」で逮捕をまぬがれたことは、池田にとって幸運なことでした。

その後池田は、自由党幹事長に就任、1955年の保守合同による自由民主党が成立すると、石橋内閣、岸信介内閣の大蔵大臣をつとめ、国務大臣、通産大臣を歴任しました。通産大臣時代に「貧乏人は麦を食え」「中小企業の五人や十人自殺してもやむを得ない」といったことで、大臣をやめさせられたことはよく知られています。

1960年、60年安保闘争により退陣した第2次岸内閣のあとをうけて首相となった池田は、安保改定後の厳しい情勢のなかで、国民の批判をかわすために、「低姿勢」「寛容と忍耐」をとなえ、「所得倍増計画」や「農業人口の6割削減」を掲げ、「わたくしはうそは申しません。経済のことは池田におまかせください」と、積極的な経済成長政策をとりました。こうして、高度成長はいくつかの問題をのこすものの、1964年11月まで、4年4か月にわたり、大平正芳、宮沢喜一らにささえられて、保守本流内閣として政権をにないました。

池田は翌1965年8月にがんで亡くなりますが、日本経済が戦後復興をなしとげ、高度経済成長レベルに突入する過程をになったことは高く評価されています。


「12月3日にあった主なできごと」

1552年 ザビエル死去…1549年に、初めて日本へキリスト教を伝えたカトリックの宣教師ザビエルが亡くなりました。

1872年 太陽暦の実施…この日旧暦(陰暦)から新暦(太陽暦)に変わり、旧暦明治5年12月3日が、新暦明治6年1月1日となりました。日本では、7紀末以来1200年以上も陰暦が使われてきましたが、幕末から欧米諸国との交渉が始まると、太陽暦と1か月前後の差が不便になり、国際的に広く使われているグレゴリオ暦の採用が急がれていました。

1894年 スティーブンソン死去…冒険小説『宝島』によって名をなし『ジキル博士とハイド氏』『誘惑されて』など独自の文学を開いたイギリスの作家スチーブンソンが亡くなりました。

投稿日:2013年12月03日(火) 05:35

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)