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「大日本帝国憲法」 とロエスレル

今日12月2日は、明治日本のお雇い外国人の一人として、「大日本帝国憲法」の制定に大きな役割をはたしたドイツの法学者・経済学者のロエスレルが、1894年亡くなった日です。

1834年、ドイツ・バイエルン地方のラウルに、弁護士の子として生まれたカール・フリードリヒ・ヘアマン・ロエスレルは、エルランゲン大学やチューリッヒ大学で法学や国家学を学んだ後、ロストック大学の教師となると、1861年に27歳の若さで同大学の国家学教授となりました。1878年に訪日するまでその地位にあって、イギリスの経済学者アダム・スミスを批判した書や社会行政法に関する書を著し、学界の指導者として知られていました。

ドイツ公使だった青木周蔵のあっせんにより、外務省の法律顧問として訪日したロエスレルは、1881年3月ころから民法の起草をするかたわら、岩倉具視の知恵袋といわれ、のちに大日本帝国憲法(明治憲法)の起草者のひとりとなる井上毅に、ドイツ(プロイセン)流の君主主義的憲法の採用をアドバイスしました。いっぽう大隈重信は、イギリスにならった開明的憲法をつくるように政府に提案していましたが、同年7月、岩倉によって憲法制定の根本方針は、ドイツ的立憲主義とすることが上奏され、他の事件とのからみもあって大隈は罷免されました(明治十四年の政変)。

その後ロエスレルは、内閣顧問にばってきされて伊藤博文の信任を得ました。1886年秋ごろから伊藤の私邸で伊藤、井上、伊東巳代治、金子堅太郎を中心に大日本帝国憲法の草案作成が極秘のうちに着手されると、ロエスレルも私邸近くに宿泊して助言を求められました。1887年夏に「日本帝国憲法草案」ができあがりましたが、その草案の多くは、ロエスエルが4月に提出した私案の大半が採用されたといわれています。そして、「日本帝国憲法草案」はそのまま受け入れられ、1889年に発布、1890年に公布されました。

その後ロエスレルは、商法を起草しましたが、民法とともに施行延期となっています。1893年に帰国、翌年に妻子の住むオーストリアに移って亡くなりました。


「12月2日にあった主なできごと」

1922年 ベル死去…聾唖(ろうあ)者の発音矯正などの仕事を通じて音声研究を深めているうちに、磁石式の電話機を発明したベルが亡くなりました。

1970年 歩行者天国…東京銀座・新宿・渋谷などで、歩行者天国が実施され、ふだんの日曜日の2.4倍もの人びとがくりだしました。この日の一酸化炭素濃度が、ふだんの日の5分の1になったことから、車の排気ガス汚染を食い止め、汚染のない環境をとりもどそうと、全国各地に広まるきっかけになりました。

投稿日:2013年12月02日(月) 05:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)