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「自動車の父」 ベンツ

今日11月26日は、世界初の実用的なガソリン動力による自動車を発明したドイツのエンジン設計者・自動車技術者のベンツが、1844年に生まれた日です。

ドイツ南西部にあるカールスルーエに生まれたカール・フリードリヒ・ベンツは、子どものころから錠前などに興味をもち、1853年9歳で地元の工業学校に学ぶうち、蒸気機関車に興味をもつようになりました。1860年カールスルーエ大学の機械工学科に入学すると、機械工学や内燃機関について深く学び、卒業後はさまざまな機械工場などを転々としながら技術者としての腕を磨きました。

1871年、マンハイムに機械工作所を設立して独立すると、新型機関の開発に取り組み、1877年ころから馬なし馬車=自動車の設計にとりくみはじめました。そして翌1878年の年末に2サイクルエンジンを作ることに成功、まもなくこの特許を取得しました。

1883年ガス動力車両工場ベンツ社を創業すると、これをきっかけに、電気着火法や気化器などその後に広く普及するさまざまな機関を発明し、1885年には1気筒4サイクルのガソリンエンジンを搭載した自動三輪車を作り、世界で最初の「ガソリンを動力とする車両」としての自動車を、工場敷地内で走らせることに成功しました。しかし、スピードは時速16kmにすぎず、これを改良した2号機、3号機を製作。ミュンヘンやパリの博覧会で披露して高く評価をされたものの、自動車の販売の拡大にはなりませんでした。

そこでベンツは、四輪構造の自動車の研究に入り、1892年から93年にかけて、四輪用自動車装置を発明し、点火方式、冷却装置などにも改良をくわえて、本格的な販売を開始しました。こうして1889年に従業員50人だったマンハイム工場は、10年後の1899年には430人となり、世界最大の自動車メーカーとして、600台の自動車を生産するまでになりました。しかしベンツは、生産増にともなう資金調達問題に端を発した会社内の争いにいやけがさして、1903年に引退、2人の息子にラーデンブルクに新会社を設立させ、余生をすごし、1929年に亡くなっています。

なお、ベンツ社は1926年、ベンツと同時期に自動車を開発したダイムラーの工場と合併し、ダイムラー・ベンツ社となりました。その後同社は1998年ダイムラー・クライスラー社、2007年からはダイムラー社となっています。同社製の乗用車メルセデス・ベンツに代表されるベンツの名は、世界の高級車の代名詞になっていることはよく知られています。


「11月26日にあった主なできごと」

1086年 院政のはじまり…白河天皇がわずか8歳のわが子に、堀川天皇として位を譲りました。上皇となった白河天皇は、幼い天皇の後見役として政治の実権を握り続けました。上皇のいるところが「院」と呼ばれ、そこで政治が行なわれたために「院政」とよばれます。

1906年 満鉄設立…日露戦争に勝利した日本は、ロシアが建設した東清鉄道を譲り受け、南満州鉄道(満鉄)として経営することになりました。満鉄は、鉄道事業を中心に広範囲にわたる事業を展開、日本の満州(中国東北部)進出の中核となりました。

1911年 小村寿太郎死去…日英同盟、日韓併合の立役者であり、日露戦争が終結したポーツマス講和会議の全権大使を務めた外交官の小村寿太郎が亡くなりました。

1952年 ヘディン死去…87年の生涯を中央アジアの探検にそそぎ、砂にうずもれた楼蘭の町や、インダス川の水源や、ヒマラヤ山脈の北にあるもう1つの山脈トランスヒマラヤなどを探りあてたスウェーデンのヘディンが亡くなりました。

投稿日:2013年11月26日(火) 05:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)