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「チャタレー裁判」 の伊藤整

今日11月15日は、『氾濫』『火の鳥』などの小説、『女性に関する十二章』他のエッセー、『チャタレー夫人の恋人』などの翻訳で知られる文学者の伊藤整(いとう せい)が、1969年に亡くなった日です。

1905年、北海道・松前に退役軍人の12人兄弟の長男として生まれた伊藤整は、1925年に小樽高等商業学校(現・小樽商科大)を卒業後、旧制小樽中学の英語教師となりました。宿直室に泊まりこんだり、夜間学校の教師を兼ねるなどして貯金をたくわえて2年後に上京、東京商科大学(現・一橋大)でフランス文学を学びながら、北川冬彦、梶井基次郎、三好達治、瀬沼茂樹らと交遊を深めました。

大学を中退し、1926年に詩集『雪明かりの路』を自費出版すると、1929年に同人雑誌『文芸レビュー』(のちの『新文芸時代』)を創刊し、この雑誌に小説や評論をかいて、文壇デビューをはたしました。他人の眼に映っていると思われる自分の像を責めたて、ときには笑いとばしてしまうようなユニークな作品『街と村』『得能五郎の生活と意見』は、とくに注目されました。戦後に発表した『鳴海仙吉』は、その手法が極点に達したといわれています。

1935年から1944年まで日大講師、1946年には北海道大講師、1949年から1950年早大講師、1949年には東工大講師(英語)、1958年東京工業大学教授、1960年から1961年米国コロンビア大学やミシガン大学で講義するかたわら、知識人を主人公にした長編『氾濫』『発掘』『変容』、混血女優を主人公に芸術家の実態を追求した『火の鳥』、父親を主人公にした『年々の花』などを次々と発表していきました。

伊藤整がとくに有名になったのは、1950年に翻訳したD・H・ローレンス著『チャタレー夫人の恋人』の性描写が露骨すぎ「わいせつ文書」に当るとして、警視庁の摘発を受けて起訴されたことからでした。伊藤は裁判で「言論・表現の自由」を堂々と主張して世間の注目を集めました。1953年には、『伊藤整氏の生活と意見』を発表し、突然スキャンダラスな話題の主人公となった「伊藤整氏」をこっけい化し、笑いの方法で読者を味方に引き入れ、作品をわいせつ文書にした検察官こそスキャンダラスな存在といいきりました。結果的に1957年最高裁の判決で罰金10万円の判決を受けましたが、伊藤は法廷闘争の記録小説『裁判』を著しています。チャタレー裁判で有罪となったことは、伊藤の社会的地位にほとんど影響せず、1962年日本ペンクラブ副会長、1963年には『日本文壇史』により菊池寛賞受賞したほか、日本近代文学館理事、1965年日本近代文学館理事長に就任しています。

また、1953年『婦人公論』に連載したエッセーは、翌年『女性に関する十二章』として刊行したところベストセラーとなり、同書は市川崑監督により映画化されています。

なお、伊藤整の『チャタレー夫人の恋人』の翻訳は、1964年に伏字を使って出版されました。伏字のない完訳は、1973年に講談社文庫から羽矢謙一訳で刊行されましたが、ほとんど話題にもなりませんでした。


「11月15日にあった主なできごと」

1630年 ケプラー誕生…惑星運動に関する3つの法則を発見し、近代天文学におおくの業績をのこしたドイツの天文学者ケプラーが生れました。

1835年 カーネギー誕生…鋼鉄で利益をあげた大実業家で、公共図書館や大学、カーネギーホールの建設など公益事業に力をそそいだ社会事業家カーネギーが生まれました。

1867年 坂本龍馬死去…薩長同盟を成立させ、徳川慶喜による大政奉還を実行させ、明治維新への道を切り拓いた土佐藩出身の志士・坂本龍馬が、33歳の誕生日に暗殺されました。

投稿日:2013年11月15日(金) 05:37

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)