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「鬼半蔵」 服部正成

今日11月14日は、徳川家康に仕えて伊賀・甲賀忍者衆の頭領となって、家康が天下をとる影の力となった服部正成(はっとり まさなり)が、1596年に亡くなった日です。

1542年、伊賀豪族・服部保長の子として三河国に生まれた服部正成(通称・半蔵)は、父が、徳川家康の祖父である松平清康が三河国を平定したおり、面会して意気投合したといわれています。正成も父の後をついで家康に仕え、1557年16歳のときに初陣、三河宇土城を夜襲して戦功を立てたのをはじめ、以後かずかずの戦に家康の勝利に貢献しました。1572年の「三方ヶ原の戦」で徳川軍は大敗するものの、正成は武功をあげたことで家康から褒美として槍を贈られ、伊賀衆150人の頭領を命ぜられました。

1579年、家康の長男信康が敵である武田勝頼と手を結んだといううわさがながれ、織田信長はこれを許さず、信康の自刃を家康に命じました。このとき介錯を命ぜられた正成でしたが、介錯ができず、家康は「鬼半蔵でも主君を手にかけることはできなかった」と正成をいっそう評価したといわれています。

1582年、信長は京都の本能寺で部下の明智光秀に討たれましたが(本能寺の変)、このとき家康は、わずかの供だけを連れて堺に滞在していました。京都を占領した光秀の目をのがれて三河にもどりたかったものの、信長の死により、その周辺はどこも危険でした。このとき、家康のわずかの供のなかに正成がおり、正成は先行して、伊賀、甲賀の地元の土豪と交渉して警護させ、一行を安全に通行させ、伊勢から船で岡崎まで護衛することに成功しています。これ以降、かれらは伊賀同心、甲賀同心として家康に仕えています。1584年の「小牧・長久手の戦」での正成は、伊賀・甲賀衆100人を指揮し、鉄砲で豊臣方を撃退する働きをしています。

1590年の小田原征伐でも家康に従軍し、家康の関東入国後は、江戸城の西に屋敷を与えられ、与力30騎と伊賀同心200人を統率することで八千石を領しました。正成の死後は、長男の正就が継ぎ、今も残る「半蔵門」という名称は、半蔵の屋敷がそのあたりにあったことから名づけられました。

なお、忍者(忍び)は、戦国時代を中心に敵の情報集めなど、秘密作戦に活躍をしました。忍者たちは、敵の城などに忍びこむためのさまざまな道具をこしらえ、使いこなすために、特別な訓練をして身体をきたえました。火薬や薬品にも詳しく、レベルの高い発明者でもありました。こんな忍者の暮らしていた屋敷が、三重県上野市に「伊賀流忍者博物館」として復元されています。


「11月14日にあった主なできごと」

1630年 貝原益軒誕生…独学で儒学、国文学、医学、博物学を学び、わが国はじめての博物誌 「大和本草」 などを著わした貝原益軒が生まれました。

1889年 ネルー誕生…イギリスの植民地だったインドを独立に導き、インド発展に全力を注いだネルーが生まれました。インドでは、ネルーの誕生を祝う日であるとともに「子どもの日」になっています。

1930年 浜口首相狙撃される…東京駅で狙撃されて重傷を負った浜口雄幸首相は、「男子の本懐」と語って話題になりました。軍部の反対を押しきって行った金輸出解禁などが右翼の反感を買ったのが原因でした。

投稿日:2013年11月14日(木) 05:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)