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「希代の名人」 坂田藤十郎

今日11月1日は、江戸時代中期「元禄時代」を代表する名優で、江戸の市川団十郎とともに歌舞伎を隆盛させた上方歌舞伎の始祖とされる坂田藤十郎(さかた とうじゅうろう)初代が、1709年に亡くなった日です。
 
1647年、芝居の座元(興行師)だった坂田市右衛門の子として京都に生まれた坂田藤十郎は、幼いころから演劇に親しむ環境に育ち、1676年に京都万太夫座で初舞台をふみました。1678年大坂の荒木座の『夕霧名残の正月』(近松門左衛門脚本)に伊左衛門を演じると大評判となり、翌年には4回も演じたばかりでなく、生涯に18回演じるほどの当たり役となり、「夕霧に芸たちのぼる坂田かな」とうたわれるほどでした。

その後は、近松門左衛門が藤十郎のために書いた『傾城(けいせい)仏の原』(この作品は、若殿梅永文蔵の活躍する歌舞伎最高傑作といわれていたものの脚本が紛失、数年かけて複数の資料をもとに舞台台本が復元され、1987年に300年ぶりに上演されて話題となる)をはじめ、『傾城壬生大念仏』『仏母摩耶山開帳』などの近松の作品を次々と上演し、遊里を舞台とした恋愛をテーマとする傾城買い狂言を深めていきました。当時の情報誌ともいえる『役者論語』によると、セリフまわしがうまく、観衆を自由自在に喜怒哀楽の境地に引き入れ、出演者ともうまく協調したと伝えられています。

当時江戸では、市川団十郎が「荒事」という怪力勇猛の武人を主役とする歌舞伎が受け入れられていたのに対し、藤十郎は「和事」という写実的な芸風で男女の恋愛などを扱った上方歌舞伎を完成させ、京都・大坂を中心に、やつし事、濡れ事、口説事などの役によってしっかりした地位を固めました。

1695年には都万太夫の座元になりましたが、1708年10月京都亀屋座の『夕霧』を最後に舞台活動を去って翌年に死去。藤十郎の名跡は2代、3代と続きましたが、元禄歌舞伎は初代の死とともに終えんしたといわれています。

それから250年もの時を経て、現代歌舞伎の大看板のひとりでもある2代目中村扇雀が4代目坂田藤十郎をつぎ、上方歌舞伎の復興プロジェクトでも主導的な役目を務めて、近松門左衛門作品を原点から勉強し直すために劇団近松座を結成。日本中にブームを巻き起こした『曾根崎心中』のお初は、初演以来1000回をこえ、今なお記録を更新中です。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、坂田藤十郎(初代)の名優ぶりがよく描かれている、菊池寛作『藤十郎の恋』を読むことができます。


「11月1日にあった主なできごと」

643年 蘇我入鹿 山背大兄王を襲う…蘇我入鹿は、聖徳太子の子山背大兄王(やましろのおうえのおう)を襲って自害に追い込み、強大な権力をにぎりました。

1847年 中江兆民誕生…フランス革命の精神的導きをしたことで名高いルソーらに学び、自由民権思想を広めた明治期の思想家 中江兆民が生まれました。

1974年 アメダス運用開始…全国約1300か所に無人自動観測所をおいて雨量を観測するシステム(アメダス)の運用を開始しました。これにより、集中豪雨などの異常気象の監視や、気象予報技術が向上しました。

投稿日:2013年11月01日(金) 05:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)