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「ニヒリズム作家」 正宗白鳥

今日10月28日は、『何処へ』『入江のほとり』『今年の春』などの小説や戯曲、『文壇人物評論』などの評論を著すなど、50年以上にもわたって独自の文芸活動を行った、正宗白鳥(まさむね はくちょう)が、1962年に亡くなった日です。

1879年、現在の岡山県備前市の大地主の家に生まれた正宗白鳥(本名・忠夫)は、幼いころから病弱だったため、死に対する恐怖心が強く、13歳のころにたまたま知ったキリスト教に救いを求め、岡山市のミッションスクールに入ったり、内村鑑三の書を熟読したりしました。1896年東京専門学校(今の早稲田大学)に入学すると、在学中にキリスト教の洗礼を受け、その後5年間、熱心な教会員となっています。いっぽう、島村抱月の指導を受けながら、「読売新聞」文学欄の合評会に参加したり、歌舞伎に熱中しました。

1901年に史学科、英語科に在籍後文学科を卒業すると、早大出版部を経て、1903年から読売新聞社の記者となり、文芸・美術・演劇などを担当してその評論に健筆をふるいました。そのかたわら、1904年には処女作品となる短編小説集『寂寞』を発表して文壇デビューをはたすと、1907年に『塵埃(じんあい)』、翌年日露戦争後の青年像を描いた『何処へ』『玉突屋』『五月幟』を次々と発表すると、島崎藤村、田山花袋、岩野泡鳴らと並んで、自然主義文学の代表作家といわれるようになりました。

7年間勤務した読売新聞を退社し、本格的に作家活動に入った白鳥は、「人間はいつ死ぬかも知れないあわれな存在」という死の想念と、「いったい人間とはなにか」を根底とする考え方をもとに、その後日本文壇にはきわめてまれな、50年以上もの長期間にわたり作家、評論活動を行いました。1935年には、外務省文化事業部の呼びかけに応えて島崎藤村、徳田秋声らと日本ペンクラブを設立。1943年11月から1947年2月まで会長をつとめ、1950年には文化勲章を受賞しています。

青年期に傾倒したキリスト教が、ときには殉教も強いることもある烈しい宗教であることを知って棄教したと公言しましたが、晩年にはふたたび強く傾き、死の床で「アーメン」と唱えたと伝えられています。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、白鳥の作品6編を読むことができます。


「10月28日にあった主なできごと」

1583年 大坂城完成…豊臣秀吉が「大坂(大阪)城」を築きました。1598年の秀吉死後は、遺児・豊臣秀頼が城に留まりましたが、1615年の大坂夏の陣で落城、豊臣氏は滅亡しました。

1749年 ゲーテ誕生…『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』など数多くの名作を生みだし、シラーと共にドイツ古典主義文学の全盛期を築いた文豪ゲーテが生れました。

1953年 民放テレビ開始…日本初の民放テレビとして「日本テレビ」が放送を開始しました。当時は受像機の台数が少なく、人気番組のプロレス中継・ボクシング中継・大相撲中継には、街頭テレビに観衆が殺到し、黒山のような人だかりになりました。

投稿日:2013年10月28日(月) 05:34

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)