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「雑誌王」 野間清治

今日10月16日は、講談社の創業者で、国民各層にむけた雑誌を刊行し、昭和前期の出版界をけん引した野間清治(のま せいじ)が、1938年に亡くなった日です。

1878年、群馬県新宿村(現在の桐生市)に教師の子として生まれた野間清治は、1895年に尋常小学校の代用教員となり、1896年群馬県立尋常師範学校(現在の群馬大学)に入学、1902年東京帝国大学文科大学(現在の東大)臨時教員養成所に入学、中等教員の資格をえて、1905年に沖縄県立中学校(現・首里高校)の教師となりました。信望をあつめて県の視学に昇進しましたが、1907年に東京帝国大学の首席書記に迎えられて上京、学内の弁論部創設に力をつくしました。

1910年に独立すると、大日本雄弁会を結成して弁論雑誌「雄弁」を創刊。政治・経済など世の中で起こっている事象についての意見を掲載するものでした。

1911年には講談社を創業し、雑誌「講談倶楽部」を創刊しました。この雑誌は、講談の速記を掲載するものでしたが、やがて血わき肉おどる大衆文学の舞台として発展していきました。1914年には「少年倶楽部」を、1916年には、<おもしろく、ためになる>をキャッチフレーズにした「面白倶楽部」を創刊しました。さらに総合雑誌「現代」(1920年)、「婦人倶楽部」(1920年)、「少女倶楽部」(1921年)をつぎつぎに創刊させたばかりか、1925年には<誰にでも読める日本一の雑誌>を宣伝文句にした「キング」を創刊して、爆発的な大ヒットをさせました。翌年には「幼年倶楽部」を創刊、最盛期は、国民のすべての階層にむけた9種類の雑誌を刊行して大衆向け雑誌文化をリード、「雑誌王」とまでいわれました。1930年には報知社(1932年から報知新聞社)を買収して社長となり、「キングレコード」の社長にもなって、戦前のマスコミ王国を築きあげました。

野間の思想の根幹には、親から受けつがれた「剣道による心身の鍛練」や講談的道徳観があり、それが「講談社文化」を形成して国民の中間層に受け入れられたことは、結果的に、修身教育をめざす国家主義的イデオロギーを普及させることにつながったとみることができます。

なお、野間のはじめた創業から続く社業の流れは、そのまま現在へとつながっています。「雄弁」の精神は「週刊現代」や「フライデー」、学芸出版などのノンフィクション分野へ。「講談倶楽部」の世界は『少年マガジン』『モーニング』『なかよし』、あるいは文芸出版へと受けつがれて、出版界の一角を形成しています。


「10月16日にあった主なできごと」

1012年 藤原道長絶頂期の歌…藤原氏の全盛をきずいた道長は、「この世をば わが世とぞ思ふ望月の かけたることも なしと思へば」という有名な歌を作りました。長女を一条天皇の、次女を三条天皇それぞれの皇后にし、そして三女を後一条天皇の皇后にしたこの日の祝宴で、自分の栄華を満月にたとえたものです。

1793年 マリー・アントワネット死去…フランス国王ルイ16世の王妃で、フランス革命の際に国外逃亡に失敗、この日38歳の若さで断頭台に消えました。

1946年 ナチス戦犯の絞首刑…南ドイツの都市ニュールンベルクで行なわれた、第2次世界大戦中にドイツが行なった戦争犯罪を裁く国際軍事裁判(ニュールンベルク裁判)は1日に最終判決がなされ、ヒトラーの片腕だった航空相ゲーリング、外相だったリッベントロップら12名は死刑をいいわたされていましたが、この日11名が13階段を登って絞首台に立ち処刑されました。(ゲーリングは処刑される寸前に拘置所で服毒自殺)

投稿日:2013年10月16日(水) 05:42

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)