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ガイガー計数管

今日9月24日は、宇宙線、人工放射能、核分裂などの研究や、放射線量を測定するときに欠かせないガイガー=ミュラー計数管を発明したドイツの実験物理学者ガイガーが、1945年に亡くなった日です。

1882年、ドイツ西部のノイシュタットに、インドの大学につとめる学者の子として生まれたハンス・ガイガーは、ミュンヘン大学をへて、1902年からエアランゲン大学で物理学と数学を学び、1906年に放電研究で博士号を得ました。

1907年からイギリスに渡り、マンチェスター大学で「原子物理学の父」といわれるラザフォードのもとで働き、1909年に原子核の発見につながるガイガー・マースデンの実験を行い、原子の構造を明らかにしました。アルファ粒子の散乱現象のほか、一連の実験は、のちにラザフォードが原子模型を提唱するときの大きな力になりました。1911年には、アルファ線の飛程(運動エネルギーを失うまでの直線距離)と半減期との関係を示したガイガー・ヌッタルの法則を提唱しています。

1912年ドイツにもどったガイガーは、ベルリンの理工学研究所・放射能実験所のリーダーとなり、まもなく、放射線の検出や計測にかかせない測定器の研究にとりかかりました。第1次世界大戦が本格化してきたため、砲兵隊の軍務についていましたが、大戦後はふたたび研究室へもどり、測定器の改良に取り組みます。

1925年キール大学の教授となり、1928年ついに、ミュラーとの協同による「ガイガー=ミュラー計数管」を発表して、最終的な放射線量測定器の完成にこぎつけました。この計数管は、放射線の粒子が管の中に入ると瞬間的に電流が流れて測定するもので、その後の放射線研究に欠かせないものとなりました。

その後ガイガーは、1929年にチュービンゲン大学へ移り、1936年にロッテンブルク工業大学で物理学を教えましたが、第2次世界大戦中は病気のため、ほとんど研究ができず、連合国軍がドイツに入ってきたときは家も財産も失ってしまい、翌年、ポツダムで62年の生涯を閉じました。


「9月24日にあった主なできごと」

1744年 石田梅岩死去…正直、倹約、堪忍という徳目をわかりやすく示し、町人の道を教える「心学」をはじめて説いた江戸時代中期の学者 石田梅岩が亡くなりました。

1877年 西郷隆盛自刃…木戸孝允と大久保利通とともに倒幕・維新に尽力し「維新の三傑」の一人とうたわれた西郷隆盛は、士族(もと武士)たちの不満を解消させるために征韓論を主張しましたが、木戸、大久保らに反対されたため、明治政府の要職をすてて郷里鹿児島へかえりました。私塾を開いているうち、やがて下級士族たちにかつがれて8か月にわたる「西南戦争」をおこしました。西郷軍は政府軍と奮闘しましたが、最新式武装をした政府軍の力に及ばす、最期をさとった西郷は、たてこもった城山で、腹心に介錯を頼み自刃しました。

1965年 みどりの窓口開設…国鉄(いまのJR)は、コンピューターを使った指定券発売の窓口「みどりの窓口」を全国152の主要駅と日本交通公社の83営業所に設置しました。これにより、長い時間待たされたり、ダブルブッキングがほとんど解消されました。

投稿日:2013年09月24日(火) 05:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)