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平氏政権をになった平重盛

今日7月29日は、平清盛の長男で、清盛の後継者として期待された平重盛(たいらの しげもり)が、1179年、清盛に先だって亡くなった日です。

1138年、平氏全盛時代を築いた平清盛の長男として生まれた平重盛は、12歳で天皇を補佐する役人の蔵人(くろうど)となり、1156年に後白河天皇と崇徳上皇の戦い「保元の乱」、1159年の平氏と源氏の戦い「平治の乱」に、若き武将として父とともに戦い、いずれも勝利したことで武名を高めました。

父の立身とともに、重盛も昇進を重ね、最終的には従二位内大臣にまで出世しました。以後も、清盛を助けて平氏政権の中心的存在となりました。

『平家物語』によると、重盛は、猛々しい平清盛とは対照的に、教養を兼ね備えた武人で、心美しく、道理をわきまえた人物として描かれていますが、1170年には「殿下乗合」といわれる事件を引きおこしています。重盛の子の資盛(すけもり)が、摂政藤原基房が車で通りかかるのに、馬を降りて礼をしなかったため乱闘となったことに怒り、重盛は基房にたいし、たびかさなる報復をおこなったこと。これに清盛がなだめたという記述が、慈円の『愚管抄』にみられます。(『平家物語』では、たびかさなる報復をしたのは清盛としています)

また1177年、清盛が平氏打倒を企てた後白河法皇を幽閉しようとした「鹿ケ谷事件」では、「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんとすれば忠ならず」と、清盛を説いて、法皇を救った『平家物語』の記述はよく知られています。

このように、政治的には平氏一門の中で最も後白河法皇に近い立場にあり、清盛の後継者として期待されながらも、清盛と後白河法皇の対立にたいし、有効な対策を取ることができませんでした。さらに、長男ではあったものの、正妻である平時子の子である宗盛、知盛、重衡、徳子らとは母が異なっていたために、やがて一門の中でも孤立気味となり、病気となって内大臣をやめて出家、清盛の死の2年前に亡くなりました。


「7月29日にあった主なできごと」

1856年 シューマン死去…『謝肉祭』『子どもの情景』 などを作曲し、ドイツ・ロマン派のリーダーといわれるシューマンが亡くなりました。なお、有名な「トロイメライ」は、全13曲からなる『子どもの情景』の7曲目に登場する曲です。

1890年 ゴッホ死去…明るく力強い『ひまわり』など、わずか10年の間に850点以上の油絵の佳作を描いた後期印象派の代表的画家ゴッホが亡くなりました。

投稿日:2013年07月29日(月) 05:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)