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「一乗谷遺跡」 の朝倉孝景

今日7月26日は、室町時代中期の武将で、越前国を統一した朝倉孝景(あさくら たかかげ)が、1481年に亡くなった日です。

1428年、越前国(福井県北部)の守護・斯波氏に仕えていた豪族のひとつ朝倉一族に生まれた朝倉孝景(敏景ともいう)は、父が早く亡くなったため、祖父教景の補佐を受けて育ちました。1458年に、斯波氏の相続争いがおこると、孝景は守護代官の甲斐常治と結んで勢力を伸ばし、甲斐常治が亡くなったことで、孝景の影響力をさらに強めていきました。

1467年、8代将軍足利義政の継嗣争いなどさまざまな要因によって発生した10年にわたる内乱「応仁の乱」がはじまると、はじめは山名持豊(宗全)らの西軍にくみして活躍していましたが、東軍の細川勝元から越前の守護職を与えるという約束をとりつけて寝がえると、やがて連勝を重ねて、1471年に斯波氏にかわって越前守護に任じられました。

足羽(あすわ)川上流にある一乗谷に城を築いた孝景は、ここを本拠地として軍事力を強化、ほぼ越前国全域を支配下におさめ、北陸地方の有力な戦国大名となりました。晩年には、領国支配のための「朝倉孝景(敏景)条々」という17か条からなる家法を制定し、国中の土豪や地侍たちが館などを作ることを禁じ、一乗谷に移住することなどを定めたことはよく知られています。

なお、現在この一乗谷一帯は、当時のりっぱな館や家臣の屋敷、寺院・神社などが発掘され、国の特別史跡に指定されています。この地は三方が山に囲まれ、南北に細長い地形で、天然の要害であることがわかります。


「7月26日にあった主なできごと」

1881年 小山内薫誕生…明治末から大正・昭和初期に演劇界の発展に努めた劇作家、演出家の小山内薫が生まれました。

1945年 ポツダム宣言の発表…アメリカ、イギリス、ソ連(現ロシア)3国首脳の名で、日本に無条件降伏をせまる「ポツダム宣言」を発表しましたが、日本はこれを無視しました。しかし、8月に入って広島と長崎に原爆を投下され、日本と不可侵条約を結んでいたソ連の参戦などの情勢の変化により、8月14日の御前会議で受諾を決めて終戦をむかえました。発表から受諾までの20日間で、およそ38万人もの人が亡くなったといわれています。

1956年 スエズ運河国有化宣言…地中海と紅海を結ぶ国際的な水路でエジプトにあるスエズ運河は、開通した1869年から100年近くものあいだ、通行料はフランスやイギリスが株を占める万国スエズ運河会社に入り、エジプトには何の利益も受けられませんでした。エジプトのナセル大統領はこの日、スエズ運河国有化を世界に宣言しました。これを不服としたフランスやイギリスは、国際連合に解決を求めましたが、その解決を待たずに両国は、10月にイスラエルと連合してエジプトに戦争をしかけました(スエズ動乱・中東動乱)。これに対して世界中から非難がまきおこり、連合軍は11月に撤退。翌年4月にエジプト国有になって、スエズ運河は再開されました。

投稿日:2013年07月26日(金) 05:22

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)