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初志貫徹した細川ガラシャ

今日7月17日は、明智光秀の子で細川忠興に嫁ぎ、キリシタンとなったことでよく知られる細川(ほそかわ)ガラシャが、1600年に亡くなった日です。

1563年、明智光秀の3女として越前国で生まれたガラシャ(=洗礼名 本名・たま)は、1578年、15歳の時に光秀の主君である織田信長の命によって、信長の家臣細川忠興に嫁ぎました。かしこい美人として知られ、忠興とは仲のよい夫婦で、二男二女を生みました。

ところが1582年6月、光秀が織田信長を本能寺で討ち(本能寺の変)、山崎の戦いで秀吉に敗れたため、たまは謀反人の娘となりました。しかし忠興は、たまを離縁する気になれず、1584年まで丹後国(京都北部)味土野に幽閉しました。

1584年、秀吉の許しをえたことで、忠興はたまを、細川家の大坂屋敷にもどし、きびしく監視しました。容姿端麗だったばかりでなく、聡明で気丈な女性だったたまは、最大の権力者であった秀吉になんど誘われても、宴席につくことさえ拒否したと伝えられています。やがて、キリシタン大名高山右近が忠興に語るキリスト教に魅かれ、1587年に洗礼を受け、ガラシャ(ラテン語で「恩寵」の意)の洗礼名を受けてカトリック信者となりました。まもなく、秀吉がバテレン追放令を発布したことで、忠興にもそのことを告げませんでした。

それから10余年ほどのあいだガラシャは、多くの侍女や二人の娘をも信仰に導き、慈善事業にはげんだり、教理の勉強にも熱心でした。ところが、忠興は5人の側室を持つなど、ガラシャに対して辛く接するようになると、ガラシャは「夫と別れたい」と宣教師に打ち明けると、宣教師は「キリスト教では離婚は認められない」と、思いとどまるよう説得したということです。

1600年7月、関ヶ原の戦いがはじまる直前、忠興が東軍の徳川家康方について上杉景勝討伐のため従軍すると、西軍の石田三成は、大坂の細川屋敷にいたガラシャを、大坂城に人質として取ろうとしました。それを拒絶したガラシャは、三成の兵たちが屋敷を囲むと、キリスト教徒は自害が許されていないため、家老に槍で胸を貫かせて信仰を貫き通しました。


「7月17日にあった主なできごと」

1604年 徳川家光誕生…江戸幕府第3代将軍として、参勤交代制、キリシタンの禁制、鎖国などを断行して、幕府の全国支配体制を確立した徳川家光が生れました。

1795年 円山応挙死去…江戸時代中期の絵師で、『雪松図屏風』など、写生を重視した日本画を完成した円山応挙が亡くなりました。

1868年 江戸が東京となる…明治天皇は、幕府のあった江戸を東京と改め、首都としました。これまでの首都は京都にあり、東京は京都の東にあたるため「東京」となりました。

投稿日:2013年07月17日(水) 05:56

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)