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「三井財閥」 と池田成彬

今日7月16日は、団琢磨暗殺後に三井財閥のリーダーとなって巨大化を推進し、日本銀行総裁・大蔵大臣兼商工大臣をつとめた池田成彬(いけだ しげあき・せいひん)が、1867年に生まれた日です。

現在の山形県米沢市に米沢藩士の子として生まれた池田成彬は、1879年父とともに上京、慶応義塾別科をへて1890年、新設されたばかりの慶応大学経済学部に入学しました。入学前から英語を学んでいたことが幸いし、大学に推薦されて1890年に渡米すると、ハーバード大学に入学しました。1895年卒業後帰国、福沢諭吉の経営する時事新報に入社しましたが、月給が安いと3か月で退社して、三井銀行に入行しました。

三井財閥の実力者だった中上川(なかみがわ)彦次郎に認められ、足利支店長をふりだしに、1898年欧米に出張して銀行業務の近代化について学び、1900年には本店の営業部次長、1904年には営業部長と、とんとん拍子で栄進をはたしました。1911年には常務取締役に選任され、以後、20年以上も常務のポストについて、三井銀行の経営をとりしきりました。その間、わが国ではじめて外国為替業務を開始するなど、金融界をリードしました。

1927年〜30年にかけて、世界の金融不安の時代にわが国も昭和恐慌の波に洗われ、そのあおりを受けて、三井財閥をひきいていた三井合名会社の団琢磨が暗殺されると、1932年、池田は三井合名会社の常務理事となり、三井財閥の実質的な責任者となりました。そして、三井一族の経営からの退陣、重役の定年制、株式の公開、三井物産他主要系列会社の人事刷新など、大胆な機構改革をおこなって世間の財閥への風当たりをさけるようにつとめました。1936年には、自らも70歳で退職しました。

退職後の池田は、翌1937年に日本銀行総裁に就任、1938年には第1次近衛内閣で、大蔵大臣兼商工大臣をつとめ、1941年には天皇を補佐する枢密顧問官となりました。1945年の敗戦後、戦犯容疑を受けて自宅の大磯に引きこもり、1950年に亡くなりました。


「7月16日にあった主なできごと」

622年 回教暦元年…イスラム教の開祖 ムハンマド(マホメット) が、メッカからメディナに移って布教を開始。この年を回教暦元年としました。

733年 山上憶良死去…貧しい人たちへの気遣いや家族思いの万葉歌人・山上憶良が亡くなったといわれます。

1260年 立正安国論…僧の日蓮はこの日、鎌倉幕府の前執権北条時頼に「立正安国論」を献上し、相次ぐ地震や飢饉、疫病などの災害の原因は、阿弥陀如来だけを信じ念仏をとなえればよいという法然を激しく非難、正法である法華経を信じなければ国内に反乱がおこり外国から侵略を受けると予言しました。

1872年 アムンゼン誕生…ノルウェーの極地探検家で、1911年南極点に初めて到達したアムンゼンが生まれました。

1945年 世界初の原爆実験…アメリカのニューメキシコ州の砂漠で、原爆実験がおこなわれました。この成功により、広島に8月6日、9日に長崎へ原子爆弾が落とされました。

投稿日:2013年07月16日(火) 05:43

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)