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「尼将軍」 北条政子

今日7月11日は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室で、頼朝亡きあとは幕府の実権をにぎった北条政子(ほうじょう まさこ)が、1225年に亡くなった日です。

1157年、伊豆国の豪族・北条時政の長女として生まれた政子は、1177年の平治の乱で敗れ、蛭が小島(現・韮山町)に流されていた源頼朝の監視役だった時政の目を盗み、頼朝と恋仲になりました。頼朝と政子の関係を知った時政は、平氏一門に気兼ねして結婚に反対するものの、政子は頼朝とともに、伊豆山神社に逃げこんでかくまわれました。やがて、時政はふたりの結婚を認め、政子は、頼家、実朝ら2男2女を生み、北条氏一族は、頼朝の重要な後援者となります。

1180年、頼朝は、以仁王の平家追討の令旨(りょうじ)を受けて挙兵するものの、石橋山の戦いで惨敗し、安房国(千葉)に逃れました。政子は伊豆山に留まり、頼朝の安否を心配して不安の日々を送りました。勢力を回復した頼朝は、鎌倉を本拠におき、1184年に弟の源義経らに、京都の治安をないがしろにする源義仲を討たせ、平氏一族を一の谷(神戸)、壇ノ浦(下関)に破って、平氏を滅ぼしました。そして、1192年に征夷大将軍となって鎌倉幕府の初代将軍となり、政子は御台所と呼ばれるようになりました。

1199年に頼朝が亡くなると、政子は出家したために尼御台(あまみだい)とされ、頼家を2代将軍としました。しかし、政治の実権は政子がにぎり、将軍の権限をおさえるために、父時政や大江広元ら重臣(宿老)たちの合議制をしき、1203年には頼家の病気を理由に2男の実朝を3代将軍とし、時政が執権(将軍の補佐役)となりました。

1205年政子は、時政の後妻が陰謀を企てたことに時政も同調したことで、時政を隠退させ、弟の北条義時とともに幕政を主導しました。1219年、実朝が頼家の子公暁(くぎょう)に暗殺されると、わずか2歳の九条頼経を4代将軍として迎え入れ、義時を執権にしました。

1221年、後鳥羽上皇が、義時追討の院宣(いんぜん)を発して「承久(じょうきゅう)の乱」が起こりました。政子は、動揺する御家人たちを鎌倉に集め、幕府はじまって以来の難局であること、頼朝以来の御恩の意義を説いて挙兵の決意をうながしました。こうして乱は、京都に進軍した幕府軍の圧勝に終わり、その男まさりの活躍ぶりから、「尼将軍」とよばれました。

1224年、義時が亡くなり、その長子で、幕府を盤石のものとさせた泰時が3代目の執権となると、その翌年、政子は波乱にとんだその生涯を閉じたのでした。


「7月11日にあった主なできごと」

1156年 保元の乱…後白河天皇方の平清盛、源義朝らが、崇徳上皇方の平忠正、源為義らのこもる白河御所へ未明に夜討ちをかけて打ち破りました。その結果、上皇は隠岐に流され、為義らは処刑されました。これにより、武士が政治に進出することが決定的となります。

1864年 佐久間象山死去…幕末の志士として有名な吉田松陰、幕臣の勝海舟らを指導した開国論者の佐久間象山が、攘夷派の武士たちに襲われて亡くなりました。

1893年 真珠の養殖成功…御木本幸吉は、この日アコヤガイを使った貝の中に真珠ができているのを発見、約10年を費やして、真円真珠の養殖に成功しました。

投稿日:2013年07月11日(木) 05:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)