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「旅の思想家」 高山彦九郎

今日6月27日は、江戸時代中期の尊皇思想家としてぼう大な日記を残し、吉田松陰ら幕末の志士たちに多くの影響を与えた高山彦九郎(たかやま ひこくろう)が、1793年に亡くなった日です。

1747年、上野国新田郡(にったごおり・いまの群馬県太田市)郷士の子として生まれた高山彦九郎(本名・正之)は、13歳の時に南北朝時代の歴史書『太平記』を読んで、後醍醐天皇のたてた建武新政府の忠臣の行動に感銘しました。さらに、自分の先祖が、忠臣のひとりである新田義貞に仕えていたことを知りました。これがきっかけとなって、勤皇(天皇にまごころをつくす)の志を立てたといわれています。

18歳の時に、置手紙を残して家を出ると、京都に出て漢学を学びました。その後は、生涯にわたって旅ですごし、勤皇論を説きました。訪問していないところは、蝦夷地(北海道)と四国だけといってよいほどで、京都・江戸・郷里を拠点に、全国各地を遊歴しています。ぼう大な日記を残しており、その土地の地誌や伝聞、自然災害、うちこわしなどの社会状況、前野良沢・大槻玄沢・林子平・藤田幽谷・上杉鷹山ら文化人ばかりでなく、剣術家・神官・商人・農民などさまざまな階層の人々との交流が記録されています。

京では岩倉具選ら公卿のあいだを出入りしたため、老中の松平定信ら幕府に警戒され、行動を監視されるようになりました。1791年には九州各地を旅した後、薩摩藩を頼ろうとしましたが退けられ、家族にも圧迫がくわえられこともあり、久留米の友人宅で自殺、46年の生涯を閉じてしまいました。

彦九郎の行動には、京都の三条大橋にぬかずいて自分の名を大声で叫びながら皇居を拝したり、足利尊氏の墓をむち打ちするなど奇行も多く、林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」といわれています。

死後、各地で彦九郎を敬慕する尊王の人々の動きが現われ、彦九郎の尊王思想の先駆的な行動と実践は、その日記を通して吉田松陰・高杉晋作・久坂玄瑞・中岡慎太郎・西郷隆盛ら幕末の志士たちに強い影響を与えました。また、二宮尊徳や楠木正成らと並んで戦前の小学校教科書で取り上げられましたが、現在では、一部の高校教科書に取り上げられる程度で、多くの人から忘れられた存在になっています。

彦九郎の人物評価は、時代によって著しく変わりましたが、生誕地の太田市では、その人物像を再評価する機運が高まり、1996年に太田市の施設として高山彦九郎記念館が開館しています。


「6月27日にあった主なできごと」

1809年 上田秋成死去…わが国怪奇文学の最高傑作といわれる『雨月物語』 を著した江戸時代後期の小説家・国学者・歌人の上田秋成が亡くなりました。

1850年 小泉八雲誕生…「耳なし芳一」 や 「雪女」 などを収録した 『怪談』 などを著し、日本の文化や日本の美しさを世界に紹介したラフカディオ・ハーンこと小泉八雲が生まれました。

1880年 ヘレンケラー誕生…生後19か月で目・耳・口の機能を失いながらも、著述家、社会福祉事業家として活躍したアメリカのヘレンケラーが生まれました。

投稿日:2013年06月27日(木) 05:45

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)