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「電気学のニュートン」 アンペール

今日6月10日は、フランスの物理学者・数学者・化学者で、電磁気学の創始者として知られているアンペールが、1836年に亡くなった日です。電流の強さを表す単位であるアンペア(A)は、アンペールの名を記念してつけられました。

1775年、フランス中南部の都市リヨン郊外の村にある商人の子として生まれたアンドレ・アンペールは、幼いころから知識欲が強く、14、5歳のころにはビュフォンの『博物誌』や、ディドロらの『百科全書』20巻を読破したばかりか、17、8歳のころには数学や天体力学を独学でおさめ、ラテン語やギリシャ語など数か国語を身につけました。そのころリヨンの判事となった父は、フランス革命がおこると、革命は行きすぎだと批判したために、1793年にギロチンで処刑されてしまいました。そのショックから、アンペールは、1年以上も無気力になってしまいました。

その後、ルソーの書いた植物学の本を知ったことで学問に対する興味がもどると、古典詩人の研究、さらに詩作へと関心が移っていきました。1801年にブールの中学校で物理学と化学の教師をつとめると、1802年に『賭けごとについての数学理論』を著し、これが認められて、1804年にリヨン高校数学教師、翌1805年にはパリのエコール・ポリテニク(理工科学校)の講師をつとめるようになりました。1809年には同校の数学教授になって、確率論や部分微分方程式の解法について研究を深め、1813年に科学アカデミー入りを果たしました。

アンペールの研究は、さまざまな分野にわたりましたが、もっとも大きな研究成果は、電気と電磁気の関係(電気力学)を明らかにしたことによるものです。1822年、「直流電流の方向を右ねじの進行方向とすれば、磁界の方向はねじの回転方向に等しい」という「アンペールの法則」を発見し、科学アカデミー論文を発表しました。また、右ねじの法則(右手の法則)も発見しました。これは右手の親指を立てて握ったとき、親指以外の指の方向を磁場とすると、親指の指す方向が電流の向きと一致するというもので、そのほか、電流間の力に関する数学的公式を導き出すのに成功しました。こうしたアンペールの数々の業績が、その後の電気力学の基礎となりました。

アンペールは、1827年に電気力学と磁気学に関する『電気力学的諸現象について』を出版し、電気、電流、電圧という言葉をはじめて使ったり、電気を通信に使うことを提案したりしています。電気力学の研究だけでなく、化学的現象を分子構造から説明することも試みており、アボガドロとほぼ同時に、気体の体積はその気体中の分子の数に比例するという仮説を唱えています。

イギリスの理論物理学者マクスウェルは、アンペールを「電気学のニュートン」と讃えています。


「6月10日にあった主なできごと」

1017年 源信死去…平安時代中ごろの天台宗の僧で、『往生要集』を著して浄土教を広め「恵心僧都(えしんそうず)」と讃えられた源信が亡くなりました。

1628年 徳川光圀誕生…水戸黄門の名でしたしまれ、徳川家康の孫にあたる第2代水戸藩主の徳川光圀が生まれました。

1863年 緒方洪庵死去…大阪に適々斎塾(適塾)を開き、福沢諭吉や大村益次郎らを育てた教育者として、また蘭医として種痘を広め天然痘の予防に尽力した緒方洪庵が亡くなりました。

1920年 時の記念日…「日本書紀」によると 天智天皇(中大兄皇子) が「漏刻」という水時計を作り鐘を打った日と記されています。東京天文台と生活改善同盟会はこれを記念して「時間を大切にすることを、改めて考え直そう」と呼びかけ、6月10日を「時の記念日」に制定しました。

投稿日:2013年06月10日(月) 05:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)