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『菊と刀』 のベネディクト

今日6月5日は、日本人の「文化の型」を分析した『菊と刀』を著したことで知られるアメリカの女性文化人類学者ベネディクトが、1887年に生まれた日です。

ニューヨークの医者の子として生まれたルース・ベネディクトは、1歳のときに父をなくしましたが、1909年にバッサー大学を卒業したときは、全米の優秀卒業生のうけるファイ・ベータ・カッパ賞を受賞しています。卒業後に詩を書いていましたが、30歳のころに人類学を知り、1919年にコロンビア大学の大学院で、フランツ・ボアズの指導を受け、「北米における守護霊の観念」という論文により博士号を取得、1923年からは亡くなるまでコロンビア大学で教鞭をとりました。

1934年に発表した『文化の型』は、アメリカ・インディアンの実地調査と文献研究をもとに、3つの未開文明の文化をそれぞれの型としてとらえ、行動の型が形作られるすじ道を分析することで、その世界観の違いを明らかにした画期的な著作でした。

1936年、助教授に昇任したベネディクトは、第2次世界大戦に参入するに当たって戦争に関連した研究や助言のために、アメリカ政府が招集した社会人類学者の1人となりました。ワシントンの戦時情報局に勤務しながら、対戦国である日本の文化の型や、日本人の行動パターンの分析を求められました。西欧人とは異なる日本人固有の文化・気質を理解することで、太平洋戦争後の円滑な占領統治に役立てるものであったといわれています。ベネディクトは、日本を訪れたことはありませんでしたが、日本に関する文献の熟読と、日系移民へのインタビューや交流を通じて、日本文化の解明と日本民族の気質を深く洞察し、『菊と刀』という貴重な日本文化論を書き上げました。

この本の中でベネディクトは、西欧文化と日本文化を対比させて、キリスト教文明圏に特有の『人間は生まれながらに罪深い』という「罪の文化」が欧米には根づいているのに対し、日本人は世間の人々の視線を感じ取り『外面的な世間体(恥を恐れるプライド)』によって他律的に善悪を判断する『恥の文化』にあるとしています。また、タイトルの『菊と刀』の「菊」は「美を愛好し、芸術家を尊敬し、菊作りに秘術を尽くす」ということ。「刀」は「刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する」ということ。「菊の優美」と「刀の殺伐」の『日本人の矛盾した二面性』を象徴的に表現したとしています。さらに、日本人はそんな両極的な価値観を示しながら、その均衡点である死に、透徹した美学を見出したとも記しています。

なお『菊と刀』は、ベネディクトの戦時中の調査研究をもとに1946年に出版され、その翻訳書は、私も勤務していた社会思想社から「現代教養文庫」などで刊行され、判を重ねてきました。現在は、講談社「学術文庫」から刊行されています。日本人の「文化の型」を初めて論じた書として、今も、一読する価値のある本であることにまちがいはありません。

ベネディクトは、戦後も教育活動を続け、死のわずか2か月前に教授に任じられ、1948年にニューヨークで亡くなりました。


「6月5日にあった主なできごと」

1215年 栄西死去…鎌倉時代の初期、禅宗の日本臨済宗をひらいた僧・栄西が亡くなりました。栄西は、茶の習慣を日本に伝え、茶の湯のもとをきずいたことでも知られています。

1864年 池田屋騒動…京都三条木屋町の旅館・池田屋に、京都の治安組織で近藤勇の率いる新選組が、公武合体派の守護職松平容保(会津藩主)らの暗殺を計画していた尊皇攘夷派の志士を襲撃、およそ2時間にわたり斬り合い、志士数名を殺害しました。

1882年 柔道道場…嘉納治五郎は、東京下谷の永昌寺に柔道の道場(のちの講道館)を開きました。

投稿日:2013年06月05日(水) 05:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)