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「第1次世界大戦」 とウィルヘルム2世

今日6月4日は、第3代ドイツ帝国皇帝として、積極的な海外進出を展開したものの、英・仏・露との対立を深めて第1次世界大戦を引き起こしたウィルヘルム2世が、1941に亡くなった日です。

1859年、第2代ドイツ皇帝フリードリヒ3世がプロイセン王子だったとき、イギリスのビクトリア王女との間の子としてベルリンに生まれたウィルヘルムは、軍人となる教育をうけ、18歳のときにボン大学に学びました。1888年に祖父でドイツ初代皇帝のウィルヘルム1世が亡くなり、父が第2代皇帝となったものの3か月で病死したため、わずか29歳でドイツ皇帝ウィルヘルム2世となりました。

ウィルヘルムは、祖父の時代に、長いあいだ宰相を務めて政治の実権を持ち続けたビスマルクに反感を持っていました。社会主義者鎮圧法の無期限化をはかろうとするとビスマルクと対立してこれを廃止させ、1890年にビスマルクを辞職においこんで政治の実権を独占、「新航路・世界政策」とよばれる積極的な海外進出を行うようになりました。元海軍カプリービを帝国宰相に任じ、海軍大臣ティルピッツらに大艦隊の建造など、軍備の拡張や海軍の増強に力をいれさせました。そのため、いとこでもあるイギリスのジョージ5世や、帝政ロシアのニコライ2世、フランスとの対立を深めることになりました。

1907年、イギリス・フランス・ロシアが結んだ「三国協商」によって国際的な孤立を深めると、1914年、ついに「第1次世界大戦」を招くことになりました。オーストリア・ハンガリー、トルコ、ブルガリアと同盟を結んで、イギリス、フランス、ロシアを相手に4年以上にわたって総力戦を展開しましたが、1916年ころから発言力を失い、皇帝の退位を求める声があがりはじめました。そして、1918年11月に「ドイツ革命」が発生すると、ウィルヘルムはオランダに亡命、ドイツは共和制(ワイマール共和政)へ移行したのでした。

勝利した連合国は、ウィルヘルムを戦争犯罪人に指名しましたが、オランダ政府が引き渡しを拒否したことで、戦後もオランダのドールンですごし、ドイツ国内の帝政復古派の運動を支援しました。やがて、反帝政派のヒトラーによる独裁体制が誕生したことで復位の可能性はなくなり、独ソ戦を目前にドールンで死去しました。


「6月4日にあった主なできごと」

822年 最澄死去…平安時代の初期に、天台宗をひらいた僧の最澄が亡くなりました。

1928年 張作霖爆殺…中華民国の軍閥政治家で、奉天派の首領だった張作霖が、日本の関東軍によって爆殺されました。

1989年 六四天安門事件…言論の自由化を推進し「開明的指導者」として国民の支持を集めた胡耀邦の死がきっかけとなって、中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対して、「中国人民解放軍」は戦車、装甲車を出動させ無差別発砲を行なって武力弾圧。中国共産党の発表は、死者は319人としていますが、数百人から数万人の多数におよんだといわれます。

投稿日:2013年06月04日(火) 05:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)