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「昭和文学の新風」 堀辰雄

今日5月28日は、『風立ちぬ』『菜穂子』など詩情あふれる小説や『大和路・信濃路』に代表される名随筆を残した堀辰雄(ほり たつお)が、1953年に亡くなった日です。

1904年、東京麹町に生まれた堀辰雄は、旧制第一高校時代から文学活動をはじめ、芥川龍之介と知り合って教えを受けました。東京帝国大学国文科に入学してからは、詩や小説を同人誌に発表するようになり、1926年に中野重治らと同人誌『驢馬(ろば)』を創刊して、フランス現代文学の翻訳を発表しています。師とあおいだ芥川龍之介に関する卒論を書いて大学を卒業すると、本格的に作家活動を開始するものの、芥川が1927年に自殺したために大きなショックを受けました。

1930年、短編小説集『不器用な天使』、自身の周辺を書いた『聖家族』を発表して文壇デビューをはたすと、高校時代に発病した肺結核に苦しみながらも、フランス文学の影響を受けて「母と娘」「愛と死」をテーマにした『美しい村』『物語の女』 など、知的な抒情あふれる作品を次々と発表しました。とくに、死を越えた愛を描いた『風立ちぬ』(1936-8)、芥川の死や自らの恋愛体験を素材にした『菜穂子』(1941) は大きな評判となり、作家的な地位を確かなものにしました。

また、折口信夫から日本の古典文学の手ほどきを受け、王朝文学に題材を得た『かげろふの日記』や『曠野(あらの)』などの古典文学作品、『大和路・信濃路』など随筆の秀作も多く残しています。

いっぽう、戦時下の不安な時代に、時流に迎合しない堀の作風や人柄を慕って、立原道造、中村真一郎、福永武彦らが集まり、多くの詩人、作家が育ったこともよく知られています。しかし、戦争末期からは肺結核の症状も重くなり、戦後はほとんど作品の発表もできず、現在「記念館」となっている信濃追分の自宅で闘病生活を送り、同じ肺結核に苦しむ多恵夫人にみとられながら亡くなりました。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、堀辰雄の代表作をはじめ、120数点を読むことができます。


「5月28日にあった主なできごと」

1634年 出島の建設開始…キリスト教の信者が増えることを恐れた江戸幕府は、ポルトガル人をまとめて住まわせるために、長崎港の一部を埋めたてた出島の建設を開始、2年後に完成させました。1639年にポルトガル人の来航を禁止してから無人になりましたが、1641年幕府はオランダ商館を平戸から出島に移転させ、オランダ人だけがこの島に住むことが許されました。鎖国中は、オランダ船が入港できた出島がヨーロッパとの唯一の窓口となりました。

1871年 パリ・コミューン崩壊…普仏戦争の敗戦後、パリに労働者の代表たちによる「社会・人民共和国」いわゆるパリ・コミューンが組織されましたが、この日政府軍の反撃にあい、わずか72日間でつぶれてしまいました。しかし、民衆が蜂起して誕生した革命政府であること、世界初の労働者階級の自治による民主国家で、短期間のうちに実行に移された革新的な政策(教会と国家の政教分離、無償の義務教育、女性参政権など)は、その後の世界に多くの影響をあたえました。

投稿日:2013年05月28日(火) 05:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)