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「ドイツ・ルネッサンス絵画」 とデューラー

今日5月21日は、北方ルネサンス絵画の完成者、ドイツ美術史上もっとも偉大な芸術家と高く評価されるデューラーが、1471年に生まれた日です。

金銀細工師の子として、ニュールンベルクに生まれたアルブレヒト・デューラーは、幼いころから父に金工の技術を学び、15歳のとき最先端をゆく芸術家ボルゲムートに弟子入りし、絵だけでなく銀筆素描による版画の技術を身につけました。

1490年、見習い期間を終了すると、フランクフルトやオランダなど、北ヨーロッパ各地の芸術家を訪ねながら、さまざまな技術を学ぶ遍歴の旅に出ました。4年後にニュールンベルクにもどると、当時この都市が、出版や高級品の貿易拠点として繁栄していたことで、イタリアのベネチアと大きなパイプがありました。デューラーは1494年、さらに進んだ芸術を学ぼうとイタリアに旅立ち、ベネチア、マントバ、パドバを訪れ、花開きはじめたイタリア・ルネッサンス芸術から大きな刺激を受け、とくに人体の表現法を身につけました。翌年に帰国すると数々の作品を描いて注目されるようになり、ザクセン侯フリードリヒは、デューラーの後援者となりました。

フリードリヒの依頼により、1498年に発表した木版画『ヨハネの黙示録』15葉は、かつてない成功をおさめ、ヨーロッパじゅうにデューラーの名が知れわたるようになり、1505年には、再度のイタリア旅行に出発しました。前回は無名の画家にすぎなかったのに対し、一流の画家としてむかえられたデューラーは、ベネチアで注文を受けた『ロザリオの祝祭』が大評判となり、注文が殺到したといわれています。1507年に帰国すると、経済的に安定したことで、一時、数学の研究に没頭しました。「画家は、広い教養を持つべきで、職人から学者」になるべきだという信念からでした。

その後のデューラーは、イタリアで学んだものの上に、独自の個性を加え、『四人の使徒』や『自画像』など、ドイツ的な神秘性を強烈に主張した作品を次々に発表しました。こうして、イタリアに始まったルネッサンスの潮流は、15世紀の末から16世紀にかけ、アルプスを越えてドイツやフランスにも深い影響を与えるようになりました。そのためデューラーは、ホルベインやクラナッハとともに、この潮流を代表する画家といわれています。

Durer_Young_Hare.jpg

デューラーの画家としての評価は、今日60点ほど残されている油絵のほか、多くの木版画や銅版画によるものが中心ですが、水彩画もよく知られています。動物や植物の絵を好んで描き、細密画といわれるほど、対象をしっかり忠実に再現しています。上の『野ウサギ』は、デューラーの水彩画の中でも最も有名な作品のひとつです。晩年は、『測定法教程』を出版するなど、絵画理論にも取り組み、1528年に亡くなりました。

なお、デューラーの作品他は、「オンライン画像検索」で見ることができます。


「5月21日にあった主なできごと」

1575年 長篠の戦い…甲斐の武田勝頼と、織田信長・徳川家康軍との間で、三河の長篠城をめぐる戦いがありました。この「長篠の戦い」で武田軍は、信長・家康の連合軍に完膚なきまでにやられてしまい、多くの勇将を失いました。

1927年 大西洋無着陸横断飛行…アメリカの飛行家リンドバーグは、前日ニューヨークを飛び立ち、この日の夜パリに到着しました。所要時間33時間30分、世界初の大西洋無着陸単独飛行でした。リンドバーグは、1931年には北太平洋を横断して日本にも到達し、大歓迎を受けました。

1928年 野口英世死去…世界的な細菌学者として活躍した野口英世がアフリカで黄熱病の研究中に発病して亡くなりました。

投稿日:2013年05月21日(火) 05:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)