児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  「自由律俳句」 の荻原井泉水

「自由律俳句」 の荻原井泉水

今日5月20日は、新傾向俳句雑誌「層雲」を主宰し、尾崎放哉、種田山頭火ら自由律俳人を育てた荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)が、1976年に亡くなった日です。

1884年東京・芝神明町にあった雑貨商の子として生まれ荻原井泉水(本名・幾太郎のちに藤吉)は、麻布中学時代から俳句を作りはじめ、雑誌に投稿するようになりました。第一高等学校(現・東大教養学部)のころは正岡子規を慕って、学内に俳句会を作りました。東京帝国大学言語学科に入学すると、「井泉水」の号で句作にはげみ、やがて河東碧梧桐のおこした新趣向の俳句運動に加わるようになりました。

大学院在学中の1911年には、碧梧桐とともに新傾向俳句機関誌「層雲」を主宰、1914年「層雲」から初の句集『自然の扉』を刊行しました。やがて、ドイツ文豪ゲーテやシラーの2行詩に注目するようになり、俳句に取り入れたいと考えるようになりました。いっぽう碧梧桐は、季題制度の廃止をとなえはじめ、井泉水と意見を異にしたことで「層雲」を去りました。1915年ころから井泉水は、季題制度の廃止、印象詩・象徴詩風の俳句を発表しはじめ、「井泉水派」ともいうべき自由律俳句を確立し、一高時代の同窓だった尾崎放哉(ほうさい)と句会を通じて交際を始め、種田山頭火も「層雲」に加わりました。

力一ぱいに泣く児と啼く鶏との朝
うちの蝶としてとんでいるしばらく
佛を信ず麦の穂の青きしんじつ
咲きいづるや桜さくらと咲きつらなり 
空を歩む朗々と月ひとり
手からはねてヤナにはねる鮎を手にする
われ一口犬一口のパンがおしまい

1923年、妻や母が亡くなったことで、仏道を志して京都の寺に寄寓したり、各地への遍歴の旅が多くなりました。代表句集『原泉』『外遊句集』『長流』などのほか、俳論や随筆も多く残しました。享年91歳、門弟の放哉や山頭火と違い、天寿を全うしました。

なお、荻原井泉水の作品は、オンライン「荻原井泉水の俳句」で、多くの作品を読むことができます。


「5月20日にあった主なできごと」

1498年 バスコ・ダ・ガマ新航路発見…ポルトガル国王にインド航路を開拓するよう求められていたバスコ・ダ・ガマは、アフリカ南端の喜望峰を経て、この日インドのカリカットに到達しました。リスボンを出発からおよそ10か月でした。この航路発見により、ヨーロッパとアジアは船で行き来できるようになり、ポルトガルはアジアへ植民地を広げていきました。

1506年 コロンブス死去…スペインのイザベラ女王の援助を得て、ヨーロッパ人として最初にアメリカ海域へ到達したイタリア出身の探検家・航海者のコロンブスが亡くなりました。

1799年 バルザック誕生…『ゴリオ爺さん』『谷間の百合』『従妹ベット』など、90数編に及ぶぼう大な小説を書き上げ、その小説群を「人間喜劇」と総称したフランスの文豪バルザックが生まれました。

投稿日:2013年05月20日(月) 05:10

 <  前の記事 「現代の一茶」 村上鬼城  |  トップページ  |  次の記事 「ドイツ・ルネッサンス絵画」 とデューラー  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/3068

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)