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「現代の一茶」 村上鬼城

今日5月17日は、俳句雑誌『ホトトギス』の代表俳人として活躍した村上鬼城(むらかみ きじょう)が、1865年に生まれた日です。

鳥取藩士の子として江戸屋敷に生まれた村上鬼城(本名・小原荘太郎)は、8歳のとき群馬県高崎市へ移り住み、11歳の時に母方の村上家の養子となって村上姓を名乗りました。1884年、上京して軍人を志しましたが耳の疾患のために断念し、明治法律学校(現・明治大学)で法学を学びながら、司法代書人(今の司法書士)となり、父の勤務先だった高崎裁判所の司法代書人となり、生涯この地ですごすことになります。

仕事のかたわら俳句に親しむうち、正岡子規の句に魅かれた村上は、子規に手紙を書いたことがきっかけとなって、1895年に俳句雑誌『ホトトギス』の仲間に入りました。子規の死後、『ホトトギス』を引きついだ高浜虚子に句の指導を受けるようになって認められ、1913年から『ホトトギス』の同人活動を始めると、1918年に自身の作品が入選をはたしました。以後は『ホトトギス』の代表的な俳人となって撰者とし敏腕を振い、『鬼城句集』『続鬼城句集』『底本鬼城句集』などを著しました。

しかし、私生活面では、2人の娘を残して最初の妻が亡くなり、32歳で再婚して6人の娘と2人の息子が生まれたことで生活は絶えず貧窮していました。そのためか、村上の作品には、生活の苦しみや、耳が不自由だったことによる弱者へのあわれみを詠った句が多いのが特色です。

生きかはり死にかはりして打つ田かな
新米を食うて養う和魂かな
いささかの金ほしがりぬ年の暮
麦飯に何も申さじ夏の月
五月雨や起き上がりたる根無草

また、動物や自然をしっかり観察し、人生について深く考えさせられる作品が多くあることで、「現代の一茶」ともいわれています。

冬蜂の死にどころなく歩きけり
闘鶏の眼つぶれて飼われけり
鷹のつらきびしく老いて哀れなり
かまきりに負けてほえ立つ小犬かな
痩馬のあはれ機嫌や秋高し

座右の銘が「心眼」ならぬ「心耳」であったことから、「心耳の詠み人」とも呼ばれ、1938年、74歳で死去しました。

なお、村上鬼城の作品は、オンライン「村上鬼城の俳句」で、たくさんの作品を読むことができます。


「5月17日にあった主なできごと」

1510年 ボッティチェリ死去…「春」「ビーナスの誕生」などの名画で有名なルネサンス期の画家ボッティチェリが亡くなりました。

1749年 ジェンナー死去…種痘を発明し、天然痘という伝染病を根絶させたイギリスの外科医ジェンナーが亡くなりました。

1890年 府県制の公布…現在の都道府県のもととなる府県制が公布され、地方自治のもとができあがりました。しかし当時は、府県の知事は政府によって決められていて、公選となったのは1947年に「地方自治法」ができてからです。

投稿日:2013年05月17日(金) 05:55

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)