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「国姓爺合戦」 と鄭成功

今日5月8日は、清代の初め、明を復興させようと抵抗運動を続け、台湾に渡って鄭氏政権の祖となった鄭成功(てい せいこう=チェン・チェンコン)が、1662年に亡くなった日です。

1624年、長崎の平戸に父鄭芝龍(てい しりゅう)と日本人母の間に生まれた鄭成功(幼名・福松)は、1630年に父の招きで、父の故郷である福建に渡りました。父の一族はアモイなどの島を根拠に密貿易を行って築き上げた巨大な財力と海軍力もっていて、民に帰属して、官権をうしろだてに海上権を掌握していました。15歳のとき成功は、南京で当代の学者銭謙益に師事しました。

1644年、李自成が北京を陥落させて明を滅ぼすと、1646年に成功は、民王朝を再興させようとする唐王に召し出され、信頼されて、民の皇帝の姓である「朱」の名を賜りました。しかし成功は、それではあまりにおそれ多いと、朱姓を使うことをせず「鄭成功」を名乗りました。それ以後人々は「国姓を賜った御大」という意味の「国姓爺(こくせんや)」と呼ばれるようになりました。民の隆武帝の軍勢は北伐を敢行しましたが失敗に終わり、隆武帝は殺され、父もまた、抵抗運動を見限って清王朝に降伏しました。

いっぽう成功は、アモイを根拠にしながら鄭一族を掌握して清と戦い、中国沿岸や琉球(沖縄)、東南アジアの国々と貿易しながら抵抗運動を続けました。1658年には、17万5千の北伐軍をおこし、南京攻略を決定しました。しかし、その途中に暴風雨にあい、300隻の内100隻が沈没したことが致命的となって、南京で大敗をきっしてしまいました。

成功は、勢力を立て直すために台湾へ向かい、1661年に台湾を占拠していたオランダ人を追放し、ここを根拠に清朝を倒そうとしましたが、翌年39歳で死去してしまいました。その抵抗運動は息子に引き継がれましたが、その子(成功の孫)の代に清朝に吸収されました。しかし鄭成功は、台湾では、台湾の基礎を築いた国民的英雄とされ、台湾人に流れる不屈精神の支柱・象徴とされています。

なお、近松門左衛門の代表作である浄瑠璃『国姓爺合戦』は、日本式のよろいを身にまとった鉄砲隊や騎馬兵などの武者を巧みに指揮した鄭成功の英雄ぶりをモデルにしたもので、歌舞伎でも上演され、いまも人気を維持し続けています。


「5月8日にあった主なできごと」

1615年 大坂夏の陣…豊臣秀吉の側室で豊臣秀頼を産み、秀吉亡きあと秀頼の後見人として豊臣家一族を盛りたてた淀君が、家康のはかりごとに屈し、「大坂夏の陣」に敗れて秀頼とともに自害したことで、豊臣家はほろびました。

1794年 ラボアジェ死去…従来の化学理論を次々と正し、実験で証明し「近代化学の父」と称されたフランスの科学者ラボアジェが、ある時期に徴税請負人をしていたことがわかり、ギロチンで処刑されました。

1859年 デュナン誕生…負傷兵を敵味方を問わずに助ける「国際赤十字」のしくみをこしらえたスイスの社会事業家デュナンが生れました。この誕生日を記念して、5月8日は「世界赤十字デー」として、1948年から国際的な記念日となっています。

投稿日:2013年05月08日(水) 05:19

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)