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任期中に辞任したニクソン

今日4月22日は、アメリカ合衆国第37代大統領としてベトナム戦争を終了させ、中国との国交樹立をはかる道筋をつくるなど平和主義に尽力したものの、ウォーターゲート事件により任期中に辞任したニクソンが、1994年に亡くなった日です。

1913年カリフォルニア州南部のヨーバリンダに、果樹園の子として生まれたリチャード・ニクソンの家族は、ニクソンが9歳のとき母の実家のあるホイッティアに引っ越して食料品販売店を営むようになりました。ニクソンは店を手伝ったり、アルバイトをしながら、中学・高校生活を送りました。ホイッティア大学をへて、ノースカロライナ州のデューク大学法学大学院を卒業、司法試験に合格して地元の弁護士事務所に就職し、1939年自らの弁護士事務所を開業しました。

第2次世界大戦中は海軍に入り、1946年の下院議員選挙では、カリフォルニア州共和党議員に当選をはたすと、国務省のスパイ活動を攻撃するなど、反共産党の闘士として全国にその名をはせました。1950年には上院議員にくらがえすると、1952年に行われた大統領選挙では、39歳の若さでアイゼンハワー大統領の副大統領に選ばれ、テレビをじょうずに使いながらタカ派の姿勢をとりつづけ、病気がちな大統領をバックアップし2期8年間をつとめました。

1960年の大統領選挙では、民主党のケネディとの戦いに敗れ、カリフォルニア州知事選挙にも敗れて政界を離れました。親共和党の保守派を含む多くのマスコミから「再起不能」とまでいわていたニクソンでしたが、党内の力をたくわえ、従来の反共主義をやわらげるイメージをつくって、1968年の大統領選挙に再出馬すると、民主党の候補を破って第37代大統領に当選をはたしました。

当時は、ベトナムの統一と独立をめぐる南・北ベトナムの争いにアメリカが介入してはじまった「ベトナム戦争」に対する反戦運動が過激化していて、ニクソンは公約通り、この戦争を終わらせるためにベトナム側と交渉をつづけ、1973年1月に和平協定を成立させてベトナム戦争からのアメリカ軍の完全撤退を実現しました。1年前には、当時冷戦下にあったソ連と緊張緩和(デタント)をはかるためにモスクワを訪問したり、中国との国交樹立をはかる道筋をつくるなど平和主義に尽力しています。国内的には「法と秩序」を強調し、黒人差別撤廃を遅らせるいっぽう、環境保護局の設置などを通じ公害の抑制や環境保護にも力を注ぎました。

そんな成果が功を奏し、1972年の大統領選では大勝をはたして再選されましたが、「ウォーターゲート事件」が発覚しました。この事件は、1972年6月12日の深夜、ワシントンのウォーターゲートビルにある民主党本部に、盗聴器をしかける目的で5人の男が侵入して逮捕されたものです。調査の結果、ニクソン大統領の側近が指示したものとわかり、ニクソンが事件のもみ消しをするためにさまざまな工作したこともわかって、国民の不信感が一気に高まりました。そして、議会は大統領の弾劾を決議し、1974年8月に辞職に追いこまれて辞任しました。その結果、「任期中に辞任した唯一のアメリカ大統領」という不名誉な記録を残すこととなりました。


「4月22日にあった主なできごと」

1451年 イサベル1世誕生…1474年カスティリャ王国の女王となり、夫がアラゴン国王となったのを機に両国を統合し、スペイン王国を建国、初代女王となりました。1492年にはイスラム国家グラナダ王国を制圧し、約800年にわたったレコンキスタ(国土回復運動)を完成させました。同年女王の援助したコロンブスが新大陸を発見、スペイン海外発展のキッカケとしたことはとくに有名です。

1500年 ブラジル発見…ポルトガル人のカブラルがブラジルに漂着し、ポルトガルの旗を立てて領土としました。そのため、中南米の国々では、ブラジルだけがポルトガル語を言語としています。

1927年 支払い延期令…この年の3月倒産や休業したりする銀行が続出、この金融恐慌を鎮めるために、3週間にわたる「支払い延期令」(モラトリアム) をこの日に発令、即日実施しました。日本銀行は、2億円の非常貸し出しに印刷が間に合わず、片面白紙の200円札を発行しました。

投稿日:2013年04月22日(月) 05:44

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)