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「韓国の英雄」 安重根

今日3月26日は、初代韓国統監を務めていた伊藤博文を暗殺した朝鮮の安重根(あんじゅうこん=アン・ジュングン)が、1910年に死刑になった日です。安は、当時の朝鮮を統治していた日本側からはテロリスト、支配されていた朝鮮(とくに韓国)側からは義士としてたたえられています。

1879年、黄海道の道都である海州の進歩的旧家の長男に生まれた安重根は、名士だった父を慕って学者や政治家が来訪する環境のなかでのびのびと育ち、やがて祖国の悲運を憂う青年に成長していきました。1905年に第2次日韓条約が結ばれ、朝鮮の国権が失われ日本の植民地化が決定すると、故郷を出て、上海など中国各地を視察しながら同志を求めました。

1907年に、韓国皇帝が日本の圧力で退位させられ、さらに軍隊が解散させられると、その動きに反対して日本と闘うために、江原道で義勇軍を組織しました。しかし戦いに敗れ、安は追われてカトリック教会にかくまわれ洗礼を受けてキリスト教に改宗、ロシアのウラジオストックに脱出しました。抗日闘争活動に身を投じながら12人の同志の獲得に成功した安は、300名の独立軍「大韓義軍」を結成、1909年6月、朝鮮半島北東部の国境地帯に進出して、日本軍兵営を襲撃しました。しかし、数十倍もの日本軍の反撃に敗れ、少数の同志とともに、ロシアに逃れ、再起の機会をうかがっていました。やがて、初代韓国統監として朝鮮を植民地化する中心にいた伊藤博文が、中国の東北地方を訪れるという情報を耳にした安は、同志3名とともに伊藤の暗殺を決意しました。

そして同年10月26日、伊藤博文が満州・朝鮮問題に関してロシア蔵相と会談するためハルビン駅に着いた午前9時すぎ、群衆を装って近づいた安の放った銃弾6発のうち3発が命中、伊藤はおよそ30分後に死亡しました。安と同志3名はその場で逮捕され、日本の司法当局に引き渡されました。日本は、4人の身柄を旅順の監獄に入れ、裁判により安を死刑、他の3名には懲役刑をいいわたしました。

なお、太平洋戦争後に日本から解放された大韓民国政府は、安重根に建国功労勲章を追贈して、その栄誉をたたえています。


「3月26日にあった主なできごと」

1205年 新古今和歌集完成…後鳥羽上皇の命によって編まれた和歌集『新古今和歌集』がまとめられました。

1648年 柳生宗矩死去…江戸時代初期の武将で、将軍家のご流儀としての「柳生新陰流」をきわめた柳生宗矩(むねのり)が亡くなりました。

1827年 ベートーベン死去…『交響曲第5番』(運命)『交響曲第9番』(合唱)などの交響曲、『月光』『悲愴』などのピアノ曲のほか、管弦楽曲、歌劇、声楽曲など各方面にわたるかずかずの作品を残し、クラシック音楽史上最も偉大な作曲家の一人とされるドイツの作曲家ベートーベンが亡くなりました。

投稿日:2013年03月26日(火) 05:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)