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戦後文学を代表する大岡昇平

今日3月6日は、小説『野火』『武蔵野夫人』『花影』、伝記『中原中也』などを著し、フランス文学の翻訳家としても活躍した大岡昇平(おおおか しょうへい)が、1909年に生まれた日です。

東京牛込に生まれた大岡昇平は、幼いころから文学に関心をもち、10歳のころには「赤い鳥」に童謡を投稿して入選するほどでした。成城高校時代に小林秀雄と知り合い、小林からフランス語の個人教授を受けるうち、小林の紹介で中原中也や河上徹太郎らと交友しました。京都帝国大学仏文科卒業後は、会社員生活をしながら、「文学界」などの雑誌に評論を書くうち、スタンダール研究家として著名になりました。

1944年、応召を受けて出征したところ、1945年1月に米軍の捕虜となってレイテ島の病院に収容されました。1948年、このときの体験を記録した短編小説『俘虜(ふりょ)記』により横光利一賞を受賞し、作家としての活動を開始すると、禁欲的な恋愛小説『武蔵野夫人』(1950年)、戦場で結核に罹ったために本隊から追放された兵士の生きざまをえがいた『野火』(1952年)、銀座で働くホステスの悲哀をえがいて現代文学屈指の作品とされる『花影』(1961年)など、傑作を次々に発表し、戦後文学の代表作家の一人となりました。大岡の戦争体験は、その後も『ミンドロ島ふたたび』(1970年)、大作『レイテ戦記』(1971年)を生み出しています。

いっぽう評論家としても優れ、青年期に強い影響を受けた中原中也の伝記『朝の歌』『在りし日の歌』(のちに伝記『中原中也』として中也に関する文を1冊にまとめられる)や『富永太郎の手紙』、『常識的文学論』『文学における虚と実』『小説家夏目漱石』は高く評価されています。また、「ケンカ大岡」と呼ばれたほどの論争家で、1988年に亡くなるまで、その言動が物議を醸すことが少なくありませんでした。

おお、スタンダール『恋愛論』など、フランス文学の翻訳家・研究者としても多くの業績を残しています。


「3月6日にあった主なできごと」

1297年 永仁の徳政令…鎌倉幕府は、生活に苦しむ御家人を救うために、借金を帳消しにする「永仁の徳政令」を発布しました。そのため、武士に金を貸さなくなったため、御家人の暮しはさらに悪化、幕府の衰退につながりました。

1475年 ミケランジェロ誕生…レオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロと並び、ルネッサンスの3大巨匠のひとりといわれる彫刻家・画家・建築家・詩人として活躍したミケランジェロが生れました。

1948年 菊池寛死去…『屋上の狂人』『父帰る』『恩讐の彼方に』などを著した小説家・劇作家で、文藝春秋社をおこし、芥川賞・直木賞を創設した菊池寛が亡くなりました。

投稿日:2013年03月06日(水) 05:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)