今日3月4日は、原子物理学理論をわかりやすく解説した啓蒙書を多く著わしたことで知られる、ロシア生まれのアメリカの理論物理学者のガモフが、1904年に生まれた日です。
帝政ロシア時代に黒海北西部の都市オデッサに生まれたジョージ・ガモフは、1928年にレニングラード大学を卒業後、イギリスのケンブリッジ大学へ移籍し、ラザフォードについて原子物理学を研究しました。1933年にアメリカに移住し、翌年ジョージ・ワシントン大学教授に就任後、コロラド大学教授となりました。
原子の中心にあって、陽子と中性子からなる原子核の「アルファ崩壊」(ある原子がα線を出しながら、別の原子になる過程)を、初めて量子力学(分子・原子・原子核・素粒子などを扱う理論体系)を応用して説明したり、星の内部で核反応が進むことで、しだいに明るく高温になるという恒星の進化説(ビッグバン宇宙論)を発表しました。1950年代には、生化学分野の研究を推進し、酵素の生成に拡散が大きな役割を果たすこと。そして、生物のDNAの4種類の塩基からなる3文字符号が、遺伝情報の基礎であることを最初に提唱しています。これらの考えは、のちに、基本的には正しいことが証明されています。
また、ガモフが高く評価されているのは、難解な原子物理学をやさしく解説した書物をたくさん書いたことです。特に『不思議の国のトムキンス』は、銀行のしがない事務員である主人公のトムキンスが、現代物理学の諸問題について連続した公開講演会を開くという新聞記事を読んで、退屈しのぎにそれを聞きに行くという設定で、相対性理論の話を聞いているうちに寝込んでしまい、夢の中で、非日常的な物理の世界を解き明かすという楽しい本です。さらに続編として、『太陽の誕生と死』『地球の伝記』『原子の国のトムキンス』『生命の国のトムキンス』『宇宙の創造』などを著わしたことで、1956年にユネスコから、カリンガ賞を贈られました。
その後も、1968年に急死するまでコロラド大学で教鞭をとりながら、著作を続けました。
「3月4日にあった主なできごと」
1053年 平等院鳳凰堂…藤原頼通は、父の藤原道長からゆずり受けていた宇治の別荘を「平等院」とし、極楽浄土といわれる鳳凰堂(阿弥陀堂)を完成させました。
1697年 賀茂真淵誕生…江戸時代の中ごろに活躍した国学者で、本居宣長へ大きな影響を与えた賀茂真淵が生まれました。
1788年 寛政の改革…江戸幕府11代将軍家斉は、白河藩主として評判の高かった松平定信を老中首座・将軍補佐とし、定信は「寛政の改革」を実施して幕政の改革をはじめました。8代将軍吉宗の「享保の改革」をめざしたものでしたが、あまりに堅苦しいものだったため、成功にはいたりませんでした。「白河の清きに魚の住みかねて元の濁りの田沼恋しき」と田沼意次時代を懐かしむ狂歌に詠まれるほどでした。
1878年 有島武郎誕生…絵のぐをぬすんだ生徒と、その生徒をやさしくいましめる先生との心のふれあいをえがいた児童文学『一房の葡萄』や『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』『或る女』など社会性の高い作品を数多く残した白樺派の作家 有島武郎が生まれました。