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新歌舞伎の岡本綺堂

今日3月1日は、『修禅寺物語』『番町皿屋敷』など新歌舞伎の戯曲や、わが国初となる捕り物小説『半七捕物帳』を著わした作家の岡本綺堂(おかもと きどう)が、1939年に亡くなった日です。

1872年、元徳川幕府の御家人の子として東京高輪に生まれた岡本綺堂(本名・敬二)は、父から漢詩を、叔父から英語を学びました。東京府立一中在学中に劇作家を志すと、卒業した翌1890年、東京日日新聞社に入り、劇評や小説などを紙上に掲載しました。その後、中央新聞社、絵入日報社など、1913年までの24年間、さまざまな新聞社を転々としながら、社会部の責任者や劇評を担当しました。

その間、狂綺堂の名で、1891年に東京日日新聞に小説『高松城』を、1896年には処女戯曲『紫宸殿』を発表。1908年、川上音二郎のために書き下ろした『維新前後』は大ヒットして、主役を演じた市川左団次(2代目)と提携するきっかけとなり、左団次一座のために書いた『修禅寺物語』(1911年) の成功によって、新歌舞伎を代表する劇作家となりました。作家活動に専念した1913年以降は、『鳥辺山心中』『番町皿屋敷』など、次々に新歌舞伎のための脚本を著わし、多大な人気を博すようになりました。67年の生涯に196編もの戯曲を残し、質量ともに、河竹黙阿弥以後の第一人者と高く評価されています。

その他、1916年には国民新聞、時事新報の2紙に新聞小説を同時に連載、同年に英国コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズを原著で読んだ影響を受け、『半七捕物帳』の執筆を開始し、目明しを主人公に、江戸情緒あふれる描写で長く人気を得ました。シリーズは69編にものぼり、のちに映画やテレビドラマ化されています。怪奇ものでは、『世界怪談名作集』『支那怪奇小説集』などの編訳も著わしています。また、幼少期からの歌舞伎鑑賞を記した『ランプの下にて』は明治期歌舞伎の貴重な資料とされています。

1918年に欧米を訪問、1923年の関東大震災で自宅や蔵書を失う不幸もありましたが、年とともに枯れた味わいのある独自の作風は「綺堂物」と呼ばれ、1930年には後進を育てるために月刊誌『舞台』を発刊、監修を務めました。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、綺堂の代表作237編を読むことができます。


「3月1日にあった主なできごと」

1810年 ショパン誕生…ピアノの形式、メロディ、和声法など、これまでにない表現方法を切り開き「ピアノの詩人」といわれる作曲家ショパンが生まれました。

1871年 郵便制度開始…これまでの飛脚制度にかわって、前島密を中心に欧米の制度にならった郵便制度をとりいれ、日本に郵便制度をスタートさせました。

1892年 芥川龍之介誕生…『蜘蛛の糸』『杜子春』などの童話や、『地獄変』『河童』『奉教人の死』など百数十編もの名作をのこした作家 芥川龍之介が生まれました。

1919年 3.1独立運動…1910年に日本の統治下となった朝鮮で独立運動がおきました。韓国ではこの日を「三一節」という記念日にしています。

1954年 第5福竜丸被爆…南太平洋にあるビキニ環礁で行なわれたアメリカ水爆実験で、危険水域外で漁をしていたにもかかわらず、日本のマグロ漁船第5福竜丸の乗組員23人全員が放射能を浴びる「ビキニ事件」がおきました。9月には無線長の久保山愛吉さんが亡くなったことで、原水爆禁止運動が高まりました。第5福竜丸の船体は、東京・江東区にある「夢の島公園」に展示公開されています。

投稿日:2013年03月01日(金) 05:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)