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「副将軍」 足利直義

今日2月26日は、兄の足利尊氏のおこした室町幕府創生期には政務の実権を握ったものの、やがて兄と対立して敗れた足利直義(あしかが ただよし)が、1306年に生れ、1352年に亡くなった日です。

足利尊氏と同母の弟として生れた足利直義は、1333年、後醍醐天皇が幽閉先の隠岐島を脱出して鎌倉幕府打倒の兵を挙げると、尊氏とともにこれに味方し、六波羅探題(京都にあった鎌倉幕府出先機関)攻めに参加して滅ぼし、いっぽう新田義貞は鎌倉を攻めて鎌倉幕府は滅亡しました。

後醍醐天皇による「建武の新政」では、直義は左馬頭(さまのかみ)相模守という重職に任ぜられ、鎌倉にくだって関東を治めました。1335年に北条高時の遺児である北条時行が反乱をおこすと、苦戦を強いられ、幽閉されていた護良親王を混乱の中で殺害しました。その後天皇に無断で応援にかけつけた尊氏と合流することで、なんとか反乱軍から鎌倉を奪還しました。建武政権は、尊氏追討令を出し、新田義貞を大将とする追討軍が派遣されると、箱根・竹ノ下の戦いで追討軍を破って、新田軍を追って京都へ進撃しました。

ところが、翌1336年に陸奥国から上洛した北畠顕家や楠木正成、新田義貞らとの京都市街戦に敗れて、九州へ敗走しました。数か月で勢力を整えた尊氏軍は、直義をいっぽうの大将として京をめざし、「湊川の戦い」(現神戸市)で新田・楠木軍を破って再び入京すると、尊氏は光明天皇を擁立し、建武式目を制定して室町幕府を成立させました。

1338年、尊氏は征夷大将軍として軍事を、直義は政務担当として、二頭政治を行い「両御所」といわれました。しかし、しだいに直義の権力が増大すると、1348年ころから尊氏の家来の高師直(こうのもろなお)と対立するようになり、幕府は直義派と反直義派に割れ、後醍醐天皇が打ちたてた南朝も混乱に乗じて勢力を強めるようになりました。1349年、師直は直義を襲撃すると、直義が出家して政務から退くことを条件に和睦しました。

翌1350年、尊氏が中国地方へ遠征した留守に乗じて、京都を脱出した直義は、師直を討伐しようと対立関係にある南朝と通じたことで、北朝は直義追討令を出しました。南朝の力を得た直義は、尊氏勢を圧倒して高一族を滅ぼし、尊氏と和解しました。しかし、二人の和平は半年とつづかず、南朝から直義追討令が出ると、直義は京都を脱して北陸、信濃を経て、鎌倉を拠点に反尊氏勢力を集めました。ところが、駿河国、相模国などの戦いで尊氏に打ち破られ、延福寺に幽閉された直義は、1352年に急死しました。尊氏に毒殺されたともいわれています。


「2月26日にあった主なできごと」

1609年 琉球征伐…薩摩藩の藩主島津家久は、この日大軍を率いて琉球王国に攻め入り、4月までに征伐しました。当時琉球王国は、中国や東南アジアと日本を結ぶ中継貿易で栄えていましたが、これを薩摩藩が独占することになりました。

1802年 ユゴー誕生…フランス文学史上屈指の名作といわれる『レ・ミゼラブル』を著わした作家のユゴーが生まれました。

1815年 ナポレオンがエルバ島脱出…ヨーロッパ同盟軍に破れ、エルバ島に流されていたナポレオンは、この日の夜7隻の船に大砲を積みこんで島を脱出、皇帝に返り咲きました。しかし「100日天下」に終わり、セントヘレナ島に幽閉され、その地で亡くなりました。

1936年 2・26事件勃発…陸軍の青年将校ら1400人が首相官邸などを襲撃する事件が起きました。

投稿日:2013年02月26日(火) 05:56

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)