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「憲法の番人」 伊東巳代治

今日2月19日は、「明治憲法」の起草に参画し、明治・大正・昭和初期の官僚政治家として活躍した伊東巳代治(いとう みよじ)が、1934年に亡くなった日です。

1857年、肥前国(長崎県)町役人の子として生れた伊東巳代治は、幼いころから英語を学び、1873年に兵庫県の通訳官になりました。

1876年、伊藤博文に認められ、明治政府の工部省(産業の近代化と発展をはかるための役所)の役人になると、1882年に伊藤のヨーロッパ憲法調査に同行しました。帰国後は伊藤の秘書官として、井上毅・金子堅太郎とともに「大日本帝国憲法」(明治憲法)の起草に参画しました。

1885年に第1次伊藤内閣の際は総理大臣秘書官、1892年に第2次伊藤内閣の内閣書記官長となって議会工作に腕をふるい、特に自由党との関係を親密にしました。1898年の第3次伊藤内閣では、農商務大臣等の要職を務め、政党工作に力をふるうものの、板垣退助の入閣をめぐり、伊藤と自由党との板ばさみとなって辞任しました。

いっぽう1891年〜1904年には、経営が傾いた東京日日新聞(現・毎日新聞)を買収し、在官のまま13年間社長となって、日清戦争から日露戦争にいたるまで、政府に有利となる論陣を張りました。1899年には、枢密顧問官となって天皇の諮問機関である「枢密院」で大きな影響力を持ちつようになり、1900年、伊藤の立憲政友会結成に際し、その準備過程には参加しながらも入党せず、しだいに伊藤と距離をおくようになりました。

それ以降の伊東は、およそ30年以上も政党外部に身を置きながら、ときおり政界の表面に登場し、「憲法の番人」を自任して官僚勢力のためにさまざまな画策を講じ、枢密院の重鎮として、昭和初期まで政界に影響力を保ちました。1927年、枢密院で台湾銀行救済緊急勅令案を否決させて第1次若槻礼次郎内閣を総辞職に追いこんだり、1930年のロンドン海軍軍縮条約締結時には浜口雄幸内閣を苦しめたのは、その一例です。


「2月19日にあった主なできごと」

1185年 屋島の戦い…源義経ひきいる源氏軍は、平氏のたてこもる屋島(現・高松市)が、干潮時には騎馬でわたれることを知ってわずかな兵で強襲を決意。この日、周辺の民家に火をかけて大軍の襲来と見せかけて一気に攻めこむと、平氏軍はろうばいして海上へ逃げ出しました。こうして、平氏は瀬戸内海の制圧権を失い、一ノ谷、壇ノ浦の戦いを経て、源平合戦の大勢が決しました。

1473年 コペルニクス誕生…宇宙が太陽を中心として回転しているという「地動説」を唱えた天文学者コペルニクスが生まれました。

1837年 大塩平八郎の乱…大坂(現大阪)で大坂町奉行所の元与力の大塩平八郎とその門人は、「幕府の役人の悪政や富商の莫大なもうけを攻撃する」と檄文をまき、多数の富商に火をつけ、大坂の2割を消失させました。乱そのものは小規模でしたが、江戸幕府の弱体ぶりを示した大事件でした。

1972年 あさま山荘事件… 連合赤軍のメンバー5人が、この日河合楽器の保養寮「浅間山荘」に押し入り、管理人の妻を人質に10日間にわたって立てこもりました。

投稿日:2013年02月19日(火) 05:51

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)