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無敵艦隊を破ったドレイク

今日1月28日は、イギリス・エリザベス朝の時代に「世界一周」をなしとげた航海者で、スペインの「無敵艦隊」を撃破したことで知られるドレイクが、1596年に亡くなった日です。イギリスでは、海外発展の基礎を築いた国民的な英雄とされ、「サー」(卿) の称号をえていますが、海賊行為に苦しめられたスペインなどからは、ドラコ(悪魔の化身)といわれています。

1541年前後、南イングランドのダビストックに牧師の子として生れたフランシス・ドレイクは、10歳を過ぎたころ、近所に住む老船長から航海のやりかたを学ぶうち、船乗りになる決心をしました。北フランスやオランダの沿岸を航行してまわる小さな商船の船長に弟子入りし、船長が亡くなると、若いドレイクにその船を残してくれたことで、わくわくするような海の冒険を体験しました。当時、スペインとイングランドは犬猿の仲にあり、イングランドの船乗りたちは、ペルーやチリ、西インド諸島など、中南米のスペイン植民地から財宝を積んでもどるスペイン船を襲撃するという「海賊」のようなことをしていました。ドレイクも、そんな船乗りの一人となっていきました。

1567年に、いとこのホーキンズが指揮する小艦隊の1隻の艦長になって、奴隷貿易を行うホーキンズの手助けをしていましたが、その翌年、スペイン海軍の奇襲を受け、船団はほぼ壊滅状態となり、ドレイクも命からがら逃げ延びて帰還しました。この苦い経験が、ドレイクに生涯にわたるスペインに対する復しゅう心を抱かせることになったようです。

1570年ころから、スペイン船や町を襲う海賊行為を開始すると、1577年11月には、5隻の艦隊を率いてプリマス港を出航、大西洋からマゼラン海峡を経て太平洋に進出し、チリやペルー沿岸のスペイン植民地や船をおそって多大な財宝を奪いながら、太平洋を横断、インド洋から喜望峰を回って1580年9月、生き残った「ゴールデン・ハインド号」だけで帰港しました。これは、イギリス人として初となる世界一周で、マゼランに続く史上2番目の快挙でした。エリザベス女王に献上した金銀財宝の額は、当時のイングランドの国庫歳入よりも多いという莫大なもので、女王はドレイクをイギリス海軍の中将に任命するとともに、「サー」の称号を与えました。

1587年、ドレイク率いる艦隊が、カディス湾でスペイン艦隊を襲撃したことで「スペイン国王のひげを焼いた」といわれると、翌1588年の「アルマダの海戦」では、イギリス艦隊副司令官に任命されて、イングランド艦隊の実質的な指揮をとりました。火のついた船を敵艦隊に送りこむという海賊的な戦法により、130隻からなる「スペイン無敵艦隊」を壊滅させることに成功しました。

しかし、1589年のリスボン攻撃は失敗に終わり、1595年末に、西インド諸島攻撃にむかう途中に病にたおれ、海賊から貴族になった生涯を閉じました。


「1月28日にあった主なできごと」

712年 古事記完成…太安万侶 が元明天皇に「古事記」を献上しました。「古事記」は「日本書紀」と並ぶ古代の2大歴史書の一つで、稗田阿礼が記憶していた歴史を、安万侶がまとめあげたものです。

1547年 ヘンリー8世死去…イングランド王で、カトリック教会から離れ、イングランド国教会の首長となったことで知られるヘンリー8世が亡くなりました。

1582年 天正少年使節…九州のキリシタン3大名大友宗麟、有馬晴信、大村純忠は、伊東マンショら少年4名を「天正少年使節」として、ローマ法王に謁見させるため、長崎の港から送り出しました。

1687年 生類憐れみの令…江戸幕府第5代将軍 徳川綱吉は、この日悪名高き「生類憐れみの令」を出し、亡くなるまでの23年間にわたり人々を苦しめました。犬や猫、野生の鳥獣保護ばかりでなく、食用の魚貝類やにわとりまでも飼育や売買を禁止しました。

1912年 南極に日章旗…白瀬矗(のぶ)率いる南極探検隊が、南緯80度付近に日章旗をかかげ「大和雪原」と命名しました。のちに、この地は氷上であって、南極大陸ではないことが判明しています。

投稿日:2013年01月28日(月) 05:47

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)