児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  「応永の乱」 に敗れた大内義弘

「応永の乱」 に敗れた大内義弘

今日12月21日は、室町3代将軍足利義満に協力して南北朝合一に尽力するなど、守護大名として活躍した大内義弘(おおうち よしひろ)が、1399年に亡くなった日です。

1356年、周防・長門国(ともに現・山口県)の守護だった父弘世の子として生れた大内義弘は、1371年に4000人の兵を率いて、九州探題を務めていた今川貞世に協力して九州を平定しました。この功績により豊前国(福岡東部・大分北部)の守護となり、1380年に父が亡くなると石見国(島根県)も兼任し、4国の守護大名となりました。

室町幕府は、斯波・畠山・細川・一色・山名氏ら有力守護大名の寄合所帯で、将軍の権力は弱いものでした。そのため、3代将軍足利義満は、権力の強化をめざして花の御所を造営したり、直轄軍の奉公衆を増強しました。さらに有力守護大名の弱体化をはかるために、1379年には細川氏と斯波氏の対立を利用して管領細川氏を失脚させ、1391年には「明徳の乱」をおこして、11国の守護を兼ねた大勢力の山名氏を分裂させることに成功し、わずか3国としました。こうした一連の義満の権力強化策に義弘は協力し、1392年には南朝との仲介を行って南北朝合一にも尽力しました。その功績によって、和泉国(大阪府)と紀伊国(和歌山県)の守護職も与えられ、あわせて6つの国の守護大名となったのです。

義弘は、対明貿易や朝鮮との交易にも積極的に取り組み、当時大陸沿岸を荒らしまわっていた「倭寇」を取り締まるために派遣軍を送ったり、高麗政府に兵器を送るなど協力につとめています。義弘は、あくまで足利将軍家への忠節を誓い、1395年に義満が出家した際にもそれに従って出家、入道となるほどでした。

ところが義満は、義弘の勢力拡大を警戒するようになり、二人の間に対立が生れるようになりました。1397年、義満は北山第の造営を始め、諸大名に人数の供出を求めましたが、義弘だけは「武士は弓矢をもって奉公するもの」と武人としての信念を貫いてこれに従いませんでした。義満は、1399年には上洛命令を出すなどの挑発を行い、これを義弘が拒否したことが二人の対立を決定的なものにしました。追い込まれた義弘は、東国を治める長官(鎌倉公方)の足利満兼とはかって挙兵(応永の乱)をしましたが、堺の城で敗れ、気骨ある生涯を閉じました。

こうして、大内氏の失脚により、室町幕府は安定期をむかえることになりました。


「12月21日にあった主なできごと」

1339年 南北朝時代はじまる…後醍醐天皇が吉野に移り「南朝」を開いたため、室町幕府を開いていた足利尊氏は新しい天皇を立てて「北朝」として、朝廷の分裂時代がはじまりました。南北朝時代は、室町幕府3代将軍足利義満が1392年、北朝に統一するまで続きます。

1909年 松本清張誕生…『点と線』『ゼロの焦点』など、「社会派推理小説」と呼ばれる傑作を次々にヒットさせた松本清張が生まれました。

投稿日:2012年12月21日(金) 05:56

 <  前の記事 庭かに  |  トップページ  |  次の記事 「良心の経済学者」 矢内原忠雄  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2938

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)