児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  戦後美術を代表する林武

戦後美術を代表する林武

今日12月10日は、『朝霧富士』『舞妓』『十和田湖』などの連作で知られる洋画家の林武(はやし たけし)が、1896年に生れた日です。

国語学者の5男として東京・牛込に生まれた林武(本名・武臣[たけおみ]) は、幼いころから貧しく、兄たちと牛乳配達や新聞配達として働いたり、ペンキ塗りや歯科助手などいろいろな仕事にたずさわりながら生計を立て、画家をめざすようになりました。1920年に日本美術学校に入学し、デッサンなどを学ぶものの、翌年には中退してしまいました。しかし、この年の第8回二科展に『婦人像』が初入選し、樗牛賞を受賞しました。1922年には結婚した妻をモデルに『本を持てる婦人像』を制作、「二科賞」を受けて評判となりました。

1923年の関東大震災で被災し、神戸に移住しましたが暮らしは相変わらず苦しく、林の作品を妻が売り歩くという状態がつづきました。1930年には二科会を脱退して「独立美術協会」を創立し、以後は同会を主要な発表の場にしました。そのころ、ベルナールの『回想のセザンヌ』を読んで感銘した林は、1934年の春から1年間ヨーロッパに渡り、パリ、ベルギー、オランダ、スペインなどを訪れ、帰国後の1936年第6回独立美術協会展に、滞欧作品『コワヒューズ』『立てる婦人』など15点を発表しました。マチスやドランらのフォービズムの影響を受け、形を単純化し太い線で力強く立体的に描いた作品は、やがて林オリジナルといえる作品となっていきます。

林の絵画が広く認められるようになったのは、戦後50歳を越えてからといってよいでしょう。1949年「梳(くしけず)る女」が毎日美術賞を受賞すると、絵具を盛り上げて原色を多用するようになり、好悪がはっきりとわかれてはいたものの、絢爛豪華な作風は多くのファンを取りこみ、いちやく時代の寵児となりました。1950年代から60年代にかけて起こった「投機的絵画ブーム」にも乗って、一時期は号あたり20万円という高値で取引されるようにもなりました。とくに晩年に多く描いた薔薇や富士山の絵画は、今だに市場では人気が高いものがあります。1952〜63年には東京芸術大学美術学部教授をつとめ、1967年には文化勲章を受章、1975年79歳で亡くなりました。

なお、林武の数々の作品や関わりのある画像は、「オンライン画像検索」で見ることができます。


「12月10日にあった主なできごと」

1896年 ノーベル死去…ダイナマイトを発明したスウェーデンの化学技術者ノーベルが亡くなりました。「人間のためになると思って苦労して発明したものが、人々を不幸にしている」── そう気づいたノーベルは、死ぬ前に遺言を書きました。「財産をスウェーデン科学学士院に寄付するので、そのお金の利子を人類の平和と進歩のためにつくした人に賞として贈ってほしい」。こうしてノーベルの死後5年目の1901年から、遺志にしたがって「ノーベル賞」を贈ることがはじまり、命日であるこの日が授賞式となりました。なお、今年は、iPS細胞を作製し再生医療実現に道を開いた山中伸弥が、ノーベル賞(医学生理学賞)を受賞、日本の受賞者は19名となりました。

投稿日:2012年12月10日(月) 05:19

 <  前の記事 うどん屋  |  トップページ  |  次の記事 『幻想交響曲』 のベルリオーズ  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2926

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)