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「哲人」 三宅雪嶺

今日11月26日は、近代日本を代表する言論人・哲学者・評論家として活躍した三宅雪嶺(みやけ せつれい)が、1945年に亡くなった日です。

1860年、加賀藩(石川県)の家老・本多家の儒医の子として生まれた雪嶺(本名・雄二郎)は、近代学校制度草創期の官立東京開成学校を経て、東京大学哲学科に入学しました。フェノロサからドイツ哲学、外山正一からスペンサー哲学、ほかに中国哲学、インド哲学などを学んで卒業後、いちじ文部省に入りましたが1887年に辞職すると、以後は官職に就かず、民間人としての立場を貫き通しました。

1888年、志賀重昂(しげたか)、辰巳小二郎らと「政教社」を設立し、政府の専制主義や欧化主義に反対をとなえ、日本に古来から伝わる文化と伝統を重視する国粋主義の立場を主張するために『日本人』を創刊しました。同誌を自己の思想発表の場とするいっぽう、「東京朝日新聞」社友、「江湖新聞」主筆となって新聞や雑誌に寄稿をしました。特に陸羯南(くが かつなん)の「日本新聞」には協力をおしまず、高島炭鉱の鉱員虐待事件などの社会問題を鋭く論じ、明治中期の代表的論客として注目を集めました。

1907年には『日本人』を『日本及日本人』に改題して主宰するかたわら、1920年には妻の花圃(かほ・歌人で作家)とともに『女性日本人』も発行しました。1923年の関東大震災を期に政教社を離れ、個人雑誌『我観』を創刊、同誌に連載をつづけたのちに刊行された『同時代史』(6巻)は、独自の歴史論として高く評価されています。

1943年には文化勲章受章。著書には他に『真善美日本人』『偽悪醜日本人』『自伝』『宇宙』など約50点があります。生涯在野の立場を貫き、林内閣において文部大臣への入閣の要請があったものの辞退するなど、一貫した姿勢が人々の信奉を集めたばかりか、旺盛な好奇心と和漢洋におよぶ学識の広さに「哲人」と称された生涯でした。


「11月26日にあった主なできごと」

1086年 院政のはじまり…白河天皇がわずか8歳のわが子に、堀川天皇として位を譲りました。上皇となった白河は、幼い天皇の後見役として政治の実権を握り続けました。上皇のいるところが「院」と呼ばれ、そこで政治が行なわれたために「院政」とよばれます。

1906年 満鉄設立…日露戦争に勝利した日本は、ロシアが建設した東清鉄道を譲り受け、南満州鉄道(満鉄)として経営することになりました。満鉄は、鉄道事業を中心に広範囲にわたる事業を展開、日本の満州(中国東北部)進出の中核となりました。

1911年 小村寿太郎死去…日英同盟、日韓併合の立役者であり、日露戦争が終結したポーツマス講和会議の全権大使を務めた外交官 小村寿太郎が亡くなりました。

1952年 ヘディン死去…87年の生涯を中央アジアの探検にそそぎ、砂にうずもれた楼蘭の町や、インダス川の水源や、ヒマラヤ山脈の北にあるもう1つの山脈トランスヒマラヤなどを探りあてたスウェーデンのヘディンが、亡くなりました。

投稿日:2012年11月26日(月) 05:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)