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『天使の夢』 のルビンシュテイン

今日11月20日は、ロシアの作曲家・ピアニストのルビンシュテインが、1894年に亡くなった日です。

1829年、ロシア領ポドリスク地方(現・モルドバ共和国)の、ユダヤ系鉛筆製造業者の家に生まれたアントン・ルビンシュテインは、5歳で母からピアノを教わったのち、ビロインに師事、パリ音楽院への入学をめざしましたが、かないませんでした。しかし、パリで演奏会を開いたことがきっかけでショパンやリストと知り合って交際をつづけるうち、その演奏と技巧はわずか15歳で、リストと並び称されるほどでした。まもなく、ヨーロッパからロシアにかけて演奏会を開いて成功をおさめました。そのころベルリンで、メンデルスゾーンや歌劇作曲家のマイアベーアに知りあい、マイアベーアの勧めで、弟ニコライと共にジークフリート・デーンに作曲と音楽理論を学びました。

やがて、ロシアを含むヨーロッパやアメリカで精力的に演奏会を開くうち、ロシアのピアニストとして初の世界的名声を博してロシア・ピアノ流派の祖といわれています。作曲面では、交響曲、室内楽曲、歌劇、ピアノ曲、声楽曲など、さまざまなジャンルに作品を残しましたが、そのほとんどが埋もれてしまいました。ドイツで学んだため、ドイツ・ロマン主義的な作風は、当時、民族主義的作曲家グループとして脚光をあびていたロシア5人組と対立したことで、結果として不当に無視されてしまったようです。

しかし、その業績は特筆されるもので、1862年にロシア初の専門的な音楽教育機関である「ペテルブルク音楽院」を創設し、初代院長となっています。1859年には「ロシア音楽協会」を創設し、ロシア音楽をヨーロッパ音楽の水準にまで引き上げるという大きな貢献をしています。また、弟のニコライは、1864年に「モスクワ音楽院」を設立し、81年に亡くなるまで院長を務めました。チャイコフスキーやラフマニノフが彼らの後継にあたることは、よく知られています。

代表作『天使の夢』は、ルビンシテインが、1852年から54年にかけて作曲した24曲からなる『ピアノ組曲』です。元の名称は「カーメンノイ・オストロフ(岩の島)」といいます。後援者だったパブロブナ大公夫人といっしょに、王室の避暑地にあった島へしばしば出かけ、そこへ大公夫人に仕える24人の美しい女官たちがいました。その女官一人ひとりの肖像をピアノ曲にしたもので、その22番目にあたる曲が『天使の夢』でした。この曲の美しさが有名になり、全曲が『天使の夢』と呼ばれるようになりました。

なおこの曲は、私が小学生の頃、NHKのクラシック番組のテーマ音楽だったことを記憶しています。


「11月20日にあった主なできごと」

1179年  後白河法皇を幽閉… 平清盛は、院政を行なっていた後白河法皇をこの日、鳥羽殿に幽閉。まもなく孫を安徳天皇にして、平氏の独裁体制を築いていきました。

1858年  尾崎行雄誕生…明治・大正・昭和の3代にわたり、憲法に基づく議会政治を擁護し、清廉な政治家として活躍した尾崎行雄が生まれました。

1910年 トルストイ死去…『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』などの長編小説や随想録『人生読本』で名高いロシアの作家トルストイが亡くなりました。平和主義者としても知られ、『イワンの馬鹿』など民話の再話も有名です。

1945年 ニュールンベルク裁判開始…第2次世界大戦の戦犯を裁く国際軍事裁判が、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連から選ばれた裁判官のもとに、ドイツのニュールンベルクで始まりました。この裁判で史上初めて「戦争犯罪」という考え方が明確に打ちだされました。

2001年 イチロー大リーグMVP獲得…アメリカの大リーグマリナーズに移籍1年目のイチロー外野手は、日本人初のMVP(最優秀選手)に選ばれました。あわせて、新人王、盗塁王、アメリカンリーグ首位打者、ゴールドグラブ賞にも輝く活躍でした。

投稿日:2012年11月20日(火) 05:25

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)