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「権利の請願」 とチャールズ1世

今日11月19日は、イングランド王だったチャールズ1世が、1600年に生れた日です。王は議会と対立し、「清教徒(ピュリタン)革命」によって斬首されました。

ジェームズ1世の次男としてスコットランドのダンファームリンに生まれたチャールズは、夭折した兄にかわって皇太子となり、1625年に父の死去に伴い王位を継承しました。フランス王の娘と結婚したことで、反カトリック派の反感を買いましたが、りっぱな顔立ちで、ルーベンスやファン・ダイクらを宮廷に招くなど美術を愛し、家庭ではよき父であり、よき夫でした。

ところが父と同様、「王権神授説」という、王権は神からさずけられた絶対的なものという政治理論を信奉したことで、議会とはげしく対立しました。スペイン遠征などで国庫を枯渇させると、かさんだ費用を議会に要求し議会が応じないと、しばしば議会を解散させました。そのため議会は1628年、課税には議会の承認を得なくてはならないという「権利の請願」を提出しました。これに対しチャールズ1世は、いったんは請願を受け入れる署名を行ったものの、翌年議会を解散させ、その後11年間も専制政治を行ったのです。その間、カンタベリー大主教の助言でイギリス国教会を絶対君主の柱とし、議会勢力の中心となっていた清教徒に、鞭打ち、耳切り、鼻そぎなど残酷な刑を科して弾圧しました。

1637年にスコットランドの清教徒が反乱をおこすと、チャールズ1世はスコットランドにもイギリス国教会を強制したことで、各地に反乱が起きました。そして1640年、スコットランドの反乱鎮圧のための戦費を得る目的で11年ぶりに議会を招集するものの、議会は国王批判の場となりました。こうして1642年1月、ついに議会派と王党派の内戦「清教徒(ピュリタン)革命」が勃発しました。

この内戦は初めのうちは、王党派が優位にたったものの、オリバー・クロンウェル率いる議会軍(鉄騎隊)の活躍で王党派が各地で打ち破られ、1646年5月、チャールズはスコットランド軍に投降、身がらは議会軍に引き渡されました。

1649年1月、裁判によって「専制君主・反逆者・虐殺者・国家の敵」としてチャールズ1世の処刑が宣告され、ルーベンスに内装や天井画を依頼したホワイトホール宮殿前の、何千人という市民が見守る中で斬首されたのでした。洞察力とユーモアに欠け、よく気が変わる性格がわざわいしたといわれています。

なお、イングランド議会から国王チャールズ1世に対して出された「権利の請願」は、「大憲章(マグナカルタ)」「権利章典」とともにイギリス国家における基本法の一つとされています。


「11月19日にあった主なできごと」

1805年 レセップス誕生…地中海と紅海を結び、インド洋へとつながる海の交通の要となるスエズ運河を建設したレセップスが生まれました。
 
1827年 小林一茶死去…江戸時代後期の俳人で、子どもや動物、自然を愛して素朴な歌を読み続けた小林一茶が亡くなりました。

1828年 シューベルト死去…『ぼだい樹』『野ばら』『アベ・マリア』など600曲以上もの歌曲、『未完成交響曲』などの交響曲や室内楽曲、ピアノ曲などを作曲したシューベルトが亡くなりました。
 
1956年 東海道本線全線電化…米原〜京都間がこの日電化され、東海道本線が全線電化。電化完成により、東京、大阪間を走る最速特急が7時間半となりました。これを記念し、1964年からこの日を「鉄道電化の日」としています。

投稿日:2012年11月19日(月) 05:57

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)