今日11月13日は、『告白』や『神の国』などを著わし、キリスト教発展の基礎を築いた古代キリスト教会指導者・教父のアウグスチヌスが、357年に生れた日です。
キリスト教徒の母と異教徒の父の子として、北アフリカのヌミディアという田舎に生まれたアウレリウス・アウグスチヌスは、若いころから弁論の勉強をし、370年からカルタゴで弁論術を学びました。当時カルタゴは貿易などで栄える大都市だったことで、誘惑に負けてふしだらな生活をおくるうち、19歳のとき同棲中の女性との間に私生児が生まれました。アウグスチヌスは当時を回想した著書『告白』のなかで、「肉欲に支配され、欲望のままになっていた」と記しています。
しかし、この頃から自分の暮らしぶりと理想とのあまりの違いに苦しみ、当時流行していた「マニ教」というゾロアスター教系の宗教に魅かれ、徹底してその教義を追究しました。いっぽうキケロの『ホルテンシウス』を読んで哲学的な精神に燃え立ち、哲学を志しました。やがて、9年近くも続いたマニ教と距離をおくようになり、383年当時ローマ帝国の首都だったイタリアのローマに行き、翌年にはミラノに移って司教のアンブロシウスの説教を聞くうち、386年カトリック教会の信仰に生きる決意を固めました。その地で『幸福の生』など、初期哲学的対話論を著しています。
387年に洗礼を受けてキリスト教徒となった(回心)アウグスチヌスは、まもなく母が亡くなったことでアフリカに帰り、息子や仲間たちと修道者的な生活を行い、その時定めた規則は「アウグスチヌスの戒則」といわれ、キリスト教修道会規則の一つとなっています。391年には、北アフリカのヒッポという港町の教会の司祭になり、396年には司教になって以後30年以上にわたり、マニ教などの異教やキリスト教内の異端と論争を繰り広げました。その間、たくさんの講話や著書によって、全ヨーロッパに影響を与え、カトリック教会の理論的指導者として活躍しました。
400年ころからは、若いころの心の迷いを正直に告白した『告白』(11巻)を執筆し、さらに代表作となる『神の国』は、キリスト教最初の歴史哲学という大著で、人類史の中でイスラエルと教会の位置、キリストの予言とその成就がもたらした歴史の意味を明らかにしました。430年、ヨーロッパから北アフリカに侵入したゲルマン系のバルダン人によってヒッポが包囲される中で、古代キリスト教最大の教父は、76歳でこの世を去ったのでした。
「11月13日にあった主なできごと」
1523年 インカ帝国皇帝捕えられる…15世紀から16世紀にかけてペルー南部に栄えたインカ帝国は、クスコを中心に石造建築や織物、金銀細工など優れた文明を築きましたが、この日スペインのピサロは、帝国のアタワルバ皇帝をだまして捕えました。翌年インカ帝国は滅亡、スペインは南アメリカ大陸のほとんどを長い年月支配することになりました。
1614年 高山右近国外追放…織田信長、豊臣秀吉、徳川家康につかえた高山右近は、築城術もたけ茶道にも長じたキリシタン大名でしたが、禁止されたキリスト教を捨てなかったためにこの日国外追放、40日後にマニラで亡くなりました。