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『兎の眼』 の灰谷健次郎

今日10月31日は、『兎の眼』『太陽の子』など児童文学のベストセラーを著わした作家の灰谷健次郎(はいたに けんじろう)が、1934年に生れた日です。
 
神戸市の貧しい家庭に生まれた灰谷健次郎は、働きながら定時制高校に通いました。大阪学芸大学(現・大阪教育大)卒業後は、神戸の小学校教師を務めるかたわら、児童詩誌『きりん』の編集に携わりながら、創作活動をはじめました。その後、1967年に長兄の自殺や母親の死などが重なり、自分が教師であることの意味を見失ったことで、1971年に17年間勤めた小学校教師を退職しました。

インドやタイ、沖縄などを放浪した後の1974年、大阪の工場地帯の一角にある小学校を舞台にした『兎の眼』を発表、児童文壇デビューをはたしました。この作品は、自らの教師体験を基に、大学を卒業したばかりの若い女性教師が直面する出来ごとや出逢いを通して、多感で繊細な子どもたちと正面から向き合いながら成長する個性あふれる教師を描いたことで、子どもたちばかりでなく、広く大人にも読まれて100万部をこえるベストセラーとなりました。さらに、国際アンデルセン賞特別優良作品にも選ばれ、テレビドラマや映画にもなって大きな話題を提供しました。

1978年には、神戸の琉球料理店の少女が太平洋戦争と沖縄に思いを深めていく『太陽の子』を出版すると、この作品も50万部のベストセラーとなりました。その後も、少年の成長を追った大河小説『天の瞳』など、ヒューマニズムにあふれた作品を発表したことで、1979年、山本有三記念『路傍の石』文学賞を受賞したほか、短編には『せんせいけらいになれ』『ろくべえまってろよ』『いっちゃんはね、おしゃべりしたいのにね』などがあります。

1983年には教師時代の同僚たちと、[子どもが中心] を理念とする「太陽の子保育園」を神戸市に開設したり、教員体験や独自の死生観をもとに、子どもや教育をめぐる問題にも積極的に発言しました。

2006年72歳で死去するまで、沖縄県の渡嘉敷島に住居を移して漁をしながら暮らしましたが、1997年、新潮社の写真週刊誌「フォーカス」が殺人容疑の少年の顔写真を載せたことに怒り、同社との出版契約をすべて解消して抗議の意を表したことはよく知られています。「子どもを大事にしない社会」を憂い続けた灰谷らしい行動でした。


「10月31日の行事」

ハロウィン…カトリックの諸聖人の祝日である「万聖節」の前夜祭で、古くはケルト人の行っていた収穫感謝祭が、他民族の間にも行事として浸透していったものとされています。ハロウィンをアメリカに伝えたのは、1840年代のアイルランド移民でした。名物のおばけちょうちんは、カブで作っていましたが、アメリカには大きなカブがなかったためにカボチャを使うようになったようです。おばけちょうちんを持ち、魔女や妖精、お化けなどに仮装した子どもたちが、近くの家を1軒ずつ訪ねては Trick or treat. (お菓子をくれないといたずらをするよ)と大声をたてます。子どもたちがきた家では、用意しておいたお菓子をわたして、仮装をほめてあげるという楽しいお祭りです。最近は、日本でもよく目にするようになりました。


「10月31日にあった主なできごと」

1517年 95か条の論題…ドイツの神学者ルターは、ローマ教会の免罪符の発行などを批判する「95か条の論題」を、ビッテンベルク城教会の扉にはりだしました。これがきっかけとなって、キリスト教の「宗教改革」がはじまりました。

投稿日:2012年10月31日(水) 05:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)