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『セールスマンの死』 のミラー

今日10月17日は、テネシー・ウィリアムズと並び「アメリカ現代演劇の旗手」といわれた劇作家アーサー・ミラーが、1915年に生れた日です。

ミラーは、オーストリアのユダヤ系商人の家にニューヨークで生まれました。ミシガン大学に入学しましたが、大恐慌によって父親の支援がなくなり、2年ほど資金をかせぐために自動車生産工場で働かざるをえませんでした。再挑戦して同大学で演劇を学びながら、戯曲を書きはじめました。卒業後はラジオドラマの脚本を書いたりするうち、1944年に『幸運な男』でブロードウェーへの進出を果たしました。この作品の興業は失敗に終わりましたが、次回作の『すべてわが子』が1947年に初演されると成功をおさめ、劇作家ミラーの名が広く知れわたりました。作品は、第2次世界大戦中に欠陥飛行機を納入したことで事故をおこした工場主一家の悲劇を描いたものでした。

そして1949年、代表作となる『セールスマンの死』を発表すると大ヒット。老セールスマンが仕事にも家庭でも失敗し、自滅する姿を斬新な手法で描いた作品で、トニー賞やピュリッツァー賞を受賞しています。

『セールスマンの死』の舞台は、1940年代のニューヨークのブルックリン。主人公である60歳を過ぎたセールスマンのウィリーが夜遅く帰宅するシーンで始まります。アメリカンドリームを実現する近道はセールスマンだと信じ、40年近くがんばってきたウィリーでしたが、社会情勢の変化に押し流され、固定給はなくなって成績のよくないウィリーの手取りはほとんどありません。妻に内緒で友人に借金して給料を渡していましたが、それもついにばれてしまいます。辛い現実からのがれるために過去に逃避するウィリー。たくさんの注文をとることができた景気のいい時代であり、長男がフットボール選手として華々しく活躍している時代であり、その息子が父を敬い、愛し、賞賛の言葉をかけてくれた佳き時代でした。現実を見ようとしない自分と、現実をしっかり見つめる息子には何の接点もないことにやっと気づいたとき、ウィリーに残された道は、ひとつしかありませんでした……。

さらにミラーは、17世紀にあった魔女裁判を素材にマッカーシズムへの警鐘を鳴らした『るつぼ』(1953年)、身内の密入国者をかくまう沖仲士の家庭での葛藤を描いた『橋からのながめ』(1955年)、長い空白ののち1964年『転落のあと』を上演しました。この作品は、女優マリリン・モンローとの劇的な結婚生活(1956-61)の影響がうかがわれるといわれています。その後、罪のつぐないをテーマにした『ビシーでのできごと』や『代価』を発表しています。

ミラーの作品は、不安に満ちた現代社会と個人の接点からドラマを構築し、社会の矛盾、人間疎外を批判したものが多いのが特徴で、日本でも数多く繰り返し上演され、大きな共感を呼び起こしました。また『るつぼ』は、2001年の9・11同時多発テロ以降のアメリカ国内の動きを先見したと話題を呼んでいます。

ミラーは、2004年にシカゴで上演した『フィニッシング・ザ・ピクチャー』を最後に、2005年に89歳で亡くなりました。


「10月17日にあった主なできごと」

1849年 ショパン死去…ピアノの形式、メロディ、和声法など、これまでにない表現方法を切り開いた「ピアノの詩人」と呼ばれた作曲家ショパンが亡くなりました。

1887年 横浜に日本初の水道…江戸時代末に開港したものの人口の急増のために水不足となり、コレラが流行したこともあって、近代的な水道が急がれ、この日横浜で使用されるようになりました。

投稿日:2012年10月17日(水) 05:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)