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「陸軍創始者」 の大山巌

今日10月10日は、日本陸軍の創成期から日露戦争にかけて大きな活躍をした軍人大山巌(おおやま いわお)が、1842年に生れた日です。

薩摩(鹿児島県)藩士の子として生まれた大山巌は、いとこの西郷隆盛の指導を受けて育ちました。同藩の有馬新七らに影響されて過激派に属し、1862年「寺田屋事件」をおこして公武合体派によって鎮圧されますが、帰国謹慎処分とされて難を逃れました。

1863年の「薩英戦争」で初陣をはたすものの、イギリスの軍事力に衝撃を受けて江戸に出、江川太郎左衛門の塾で砲術を学びました。政府軍と旧幕府軍との戦いである「戊辰戦争」では、政府軍の砲隊長として新式銃隊を率い「鳥羽・伏見の戦い」や「会津戦争」など各地で大きな手柄をたてました。

新政府入りした大山は、1869年にヨーロッパに渡り、1870年には普仏戦争をプロシア側から視察してフランスに勝利したことを確認後、1873年までジュネーブに留学しました。帰国後、陸軍の建設を推し進めるいっぽう、フランスに留学して、軍制や砲術の研究にとりくみました。1877年の「西南戦争」では、第1旅団司令長官として出征して反乱を鎮圧したものの、西郷ら同郷である薩摩士族を討つという苦い体験をしました。

1880年以後は、陸軍卿(のちの陸軍大臣)、参議、参謀本部長をつとめ、1884年には桂太郎らを率いてヨーロッパ各国を視察、特にプロイセンの軍制を手本に軍制改革をはかりました。「日清戦争」では陸軍大将として第二軍司令官をつとめて勝利に貢献し、1898年には元帥、翌年には参謀総長となって、1900年には中国でおきた「義和団事件」を鎮圧するために出兵しました。

1904年の「日露戦争」開戦時の作戦の指導にあたるとともに、開戦後には、元帥・陸軍大将として満州軍総司令官に就任して出征、日本の勝利に大きく貢献しました。同藩出身の東郷平八郎と並んで「陸の大山、海の東郷」と讃えられました。

1907年には華族の最高位である「公爵」に、1914年からは内大臣となって大正天皇を補佐しましたが、1916年に病に倒れて生涯を閉じました。薩摩閥を代表する最長老で、温厚な人柄の軍人として、多くの人に理想的将校と高く評価される人物だったようです。


「10月10日にあった主なできごと」

1911年 辛亥革命…中国の清に対し、湖北省の武昌で兵士による反乱(辛亥革命)がおこりました。これがきっとかけとなり、翌年1月に古代から続いた君主制が廃止され、孫文を臨時大総統とする共和制国家「中華民国」が南京に成立しました。

1964年 東京オリンピック開催…第18回オリンピックが、東京・国立競技場で開会式が行われ、この日から15日間、94の国と地域から選ばれた5558人の選手が競いあいました。日本は、重量挙げ、体操男子、レスリング、柔道、女子バレーなどで過去最高の金16、銀5、銅6のメダルを獲得、国民の多くはテレビに釘付けとなりました。

投稿日:2012年10月10日(水) 05:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)