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『次郎物語』 の下村湖人

今日10月3日は、長編教養小説『次郎物語』(全5部)や『論語物語』などを著わした作家の下村湖人(しもむら こじん)が、1884年に生れた日です。

佐賀県に生れた湖人(本名・内田虎六郎)は、母親が病弱だったため生後まもなく里子にだされ、4歳のときに実家にもどりましたが、9歳で実母を失いました。家業が次第に傾きはじめたため、熊本の旧制第五高等学校入学後に下村家の学資援助をうけて学業を続け、東京帝国大学英文科を卒業しました。

中学時代から雑誌に詩歌を投稿し、五高時代は天才詩人とうたわれるほど文学に傾倒、大学卒業後は、学資支援等を受けていた下村家の長女と結婚して養子に入りました。しかし下村家の没落により文学をあきらめ、佐賀中学教師、唐津中学教頭・鹿島中学校長、唐津中学校長を経て台湾に渡り、台中第一中学校長、台北高校校長を歴任後、1931年に日本にもどり、東京の青少年教育団体の役員をしながら、講演と文筆の生活を送るようになりました。

そして、1936年から代表作となる『次郎物語』の連載を雑誌「新風土」で開始し、1941年に自伝的な第1部を刊行、1954年までに第5部までを発表しましたが、1955年に70歳で死去したことで、7部まで予定したシリーズは未完に終わりました。第1部のあらすじは、次の通りです。

本田家の次男として生まれた次郎は里子として、村の小学校の学校番をするお浜に預けられ、お浜の子のお兼、お鶴姉妹とともに生き生きと育てられていきました。ところが6歳になった夏のある日、むりやり実家に連れもどされてしまいます。実家には祖父母、両親、兄恭一と弟俊三がいましたが、慣れない環境の中で祖母のえこひいきや、きびしく育てようとする母のやり方は、次郎の幼い魂をゆがめるばかりでした。そんな中でも、たまに帰宅する父俊亮は、誠実に次郎を愛し、次郎の性格を素直に伸ばそうと努力しました。こうして、家族や母の実家の正木家の人々に見守られながら成長していく次郎でしたが、祖父の死、結核に侵される母、父も連帯保証人になった相手が破産したため、次郎は母の療養を兼ねて正木家に引き取られます。懸命に母の看病をする次郎でしたが、日に日に母は衰弱していき、よびよせられた遠い炭鉱で働くお浜らに看取られながら亡くなりました。生れてはじめて、母の澄みとおった愛を知った次郎の生活は、見ちがえるほどしっとりと落ち着いたものになるのでした……。

『次郎物語』は本ばかりでなく、ラジオやテレビドラマ、佐賀県をロケ地にして映画にもなっており、私自身、中学時代に愛読したもっとも印象に残るシリーズです。湖人の著作には、孔子の言葉を記した『論語』を28編のストーリーにまとめた『論語物語』があり、とてもわかりやすく論語にふれられる書として、最近人気が高まっています。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、『次郎物語』全5部を読むことができます。


「10月3日にあった主なできごと」

1804年 ハリス誕生…アメリカ合衆国の外交官で、江戸時代後期に初代駐日本公使となり、日米修好通商条約を締結したハリスが生れました。

1990年 東西ドイツ統一…第2次世界大戦後、東西に分裂していたドイツは、45年ぶりに統一されました。

投稿日:2012年10月03日(水) 05:50

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)