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尊王攘夷論者・藤田東湖

今日10月2日は、江戸時代後期に活躍した水戸藩の政治家 藤田東湖(ふじた とうこ)が、1855年に亡くなった日です。

1806年、常陸国水戸藩の「彰考館」(水戸藩の2代目藩主徳川光圀の始めた事業で『大日本史』の編さんを行っていた)に勤務する藤田幽谷の次男として生まれた武次郎(通称虎之助、のちに誠之進。東湖は号)は、幼い頃から、水戸学という「朝廷は尊く、武力で権力を握った幕府はいやしい」という尊王思想が基本にある学問をみっちり学びました。やがて水戸学派のリーダー的存在になり、1827年に父が亡くなるとその家督を継ぎ、父のあとをついで彰考館の編修となり、2年後には総裁代行に昇進しました。

1829年に水戸藩主継嗣問題がおこると、藩主の弟の徳川斉昭を盛りたてて成功させ、郡奉行、江戸通事御用役、御用調役と順調に昇進しました。1840年には側用人として藩政改革に当たるなど、藩主斉昭の絶大な信用を得ることになりましたが、1844年に斉昭が隠居謹慎処分を受けると、失脚して禄を剥奪されたばかりか江戸屋敷に幽閉されてしまいました。幽閉中にも『回天詩史』『常陸帯』『弘道館記述義』という尊王論を執筆しました。

1850年にようやく水戸に戻ることを許され、1852年には処分を解かれて藩政復帰した翌年の1853年にペリーが浦賀に来航しました。斉昭が海防参与として幕政に参画すると、東湖も江戸藩邸に召し出されて再び斉昭を補佐することになり、側用人に復帰しました。西郷隆盛や橋本左内ら幕末に活躍する志士たちと親しく交わり、大きな影響を与えました。

しかし、1855年11月に発生した安政の大地震の際、江戸小石川の藩邸で建物の下敷きとなって圧死してしまいました。志半ばの東湖の死は、尊王の志士たちを奮い立たせ、維新につなげる精神的なバックボーンとなっていきました。


「10月2日にあった主なできごと」

755年 吉備真備死去…奈良時代に輩出した最大の知識人・政治家といわれる吉備真備が亡くなりました。

1943年 学徒出陣公布…太平洋戦争での兵力不足を補うため、また戦局悪化により下級将校の不足も顕著になったため、26歳までは徴兵猶予されていた20歳以上の学生を、在学途中で徴兵し出征させると公布しました。そして、10月と11月に徴兵検査を実施して合格者を12月に入隊させることになりました。

1961年 柏鵬時代の始まり…大相撲の柏戸・大鵬両大関が、この日そろって横綱に昇進。前年までの栃錦と若乃花による「栃若時代」にかわって、大型若手横綱の登場に大相撲は大きな盛り上がりをみせました。

投稿日:2012年10月02日(火) 05:19

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)